絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

血液型

というわけでまたゴタゴタの種だよ!

大体血液型というのは、外部からの感染病原体が生き延びるためにつかう抗原偽装という戦術に対して、多様な抗原性を用意してその努力を無効化するという対抗戦術なのだから、そんなものでパーソナリティといった超高度機能が変化するわけがないのである。まるっきり違うレベルの話なんだから。こんな馬鹿話になんで人は満足してしまうんだろう。
http://med-legend.com/mt/archives/2004/11/index.html#000631
医学都市伝説

 えーっ、最近のテレビは血液型と手品だけですか、そうですか。70年代か!ユリ・ゲラーか!壊れた時計を直してあげます、ウゴケ、ウゴケ、ウゴケ、動いた、動きましたーっ!
 要は「医学的に立証できないもんをなぜありがたがるのだろう」という嘆きなのだが、何度も読んだこのテの話、なぜ届けたい相手には届かないのだろうか*1。相変わらず血液型判断を好きなひとは大勢いるし(mixiの血液型コミュなど数千人も参加している)、トルマリン等のプチオカルトグッズはどこの小物屋にも置いてある。
 もしかしたら、ものを考えて、確かめるというのは、人類の主な能力ではないんじゃないだろうか。
 脳味噌は確かに他の動物に比べて発達しているけど、猿だって4歳児くらいの脳はある。じゃあそれは何の為に使われているのか。専門家じゃないから適当に推測すると、おそらく群れの維持のためにあるのだと思う。群れ、つまりネットワークの維持だ。
 いくつかの個体が群れを維持するためには、必要最低限の知能と専門的な能力があればいい。
 よく「人類で最初にナマコを食べた奴はすごい」とか「ビール考えた奴ノーベル賞」などと言うが、おそらく探究心や研究する能力というのは、必要最低限の知能と専門的な能力があれば足りる。「常識のない科学者」なんてキャラクターはあまりに類型的だけど、じっさいに存在するのだ。つまり、そういうことなんだろう。

 ものの真偽を確かめる能力がない=バカ

 これでは、単なるレッテル貼りでしかない。問題の解決にはほど遠く、むしろ反感を買うだけ損だ。言ってみれば人類全部がどこかしらバカなのだから、その中でバカなりに最善の策を練るのが適当だろう。
 ネットワークを維持するために、何が必要かを考えるのだ。
 では、血液型性格判断を信じることに、どんな得があり、どんな損があるのだろうか。
 それを考えてもらうのが、一番の解決策ではないだろうか。
 血液型性格判断を信じているひとに質問です。
 信じることによって、群れにはどんな影響があると思いますか?

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ぱど厨http://homepage3.nifty.com/kazano/200406b.html#16_t1

*1:血液型性格判断をやめよう』http://www.remus.dti.ne.jp/~nakanisi/ketsueki/や『血液型性格関連説』http://www1.doshisha.ac.jp/~yshibana/etc/blood/archive/よりも、肯定的な『血液型性格判断http://www.nan.co.jp/deaimasse/ketueki/ketueki.htmの方がgoogle上位に表示されるのはなぜか