どいつもこいつも大好きだ
たとえばぼくは、宮沢賢治氏が、どのような信仰心を持っていたかについて、興味はあっても反感は持たない。それが彼の作品に影響を与えていたとしても、彼の遺した作品が好ましい理由とは、関係ない。同じ信仰を持った、似た境遇の人物がいたとして、同じ言葉が二度生まれるわけではない。彼は生きて、言葉を遺し、死んだ。それだけだ。
同じように、誰がどのような政治思想を持って、どのような信仰心を持っているかなどということは、興味こそあれ、批判の対象にはならない。ただそこには言葉が残り、ぼくたちはそれを読む。
尊敬する生物学者スティーブン・J・グールド氏は敬虔なキリスト教徒だが、進化こそを奇跡の顕現とした。そして、地球が6000年前に生まれたと主張する、疑似科学的な原理主義者たちと戦った。
ぼくは、無神論者でオカルト嫌いだ。
だがぼくは、グールド氏の遺した本を好んで読む。
グールド氏は、パンクと現代芸術が嫌いだった。
だがそれでも、彼の遺した本は面白い。