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究極のマゾヒズムとは、殺されることであろう。自らの望むように、殺されること。殺人者を作り上げること。相手をコントロールし、殺人者へと変貌させる能力。それがマゾヒズムだ。
では、究極のサディズムとは何か。
殺すことなのか。違う、殺してしまっては、永遠の責め苦は与えられぬ。支配し続けること、相手のこころを縛り付けること。
死ぬこと。相手を介さずに、勝手に死ぬこと。これが、究極のサディズムである。永遠の放置プレイ。残された者の精神やいかに。
病気も身体の障害もなく、借金もなく、物理的な迷惑は何もないにも関わらず「生きていると迷惑だから死ぬ」と思ってしまう病気がある。迷惑をかけたくないから死ぬ、と聞くと一見謙虚に思えるが、一方的な死への願望は支配欲の発露に過ぎない。
何が究極のサディズムだ。ヒットラーが巻き添えにした死者の数をおぼえているか、キリスト教が何人殺したと思っている。何の手順も踏まぬ自殺など、手抜きでしかない。なまぬるい絶望など薬でなんとかしてしまえ。
絶望を!完璧な絶望を!
死ぬならおれを殺してからにしてくれっ!
……はっ!おれは一体何を……?
この本……この本を読んでからだ……
「シグルイ」のフィギュアを作ろうと思って、何度も読み返している。すると、次第に山口貴由のマゾヒズムが体にしみこんできてウヒヒヒヒヒとなる。
さあ、叩き伏せてみろ、おれを殺してみせろ。