弊害について。
ぼくは、自分をとても馬鹿で薄っぺらだと思っている。いっしょう懸命頭を良くしたいけれど、できないものはできないから、頭のいい人が書いた本を読んで、頭がよくなった気になっている。友達が「星新一の随筆を読むと頭がスラスラするよ」と言っていたのが、近いと思う。頭のいいひとがぼくに複雑な世界の仕組みを説明してくれる。すると、言葉がスラスラと、目から脳をとおりぬけて、なんだか頭蓋のすみにたまった澱が消える気がする。
弊害は、ぼくが、自分以外を全員天才だと思うことで起きる。ぼくの言葉は下手だけれど、頭のいいひとなら理解できるはずだ、ぼくはどうしても、そう考えてしまう。だから本気で書いたことと冗談で書いたことの区別をつけてもらえない、だいすきな人に、嫌われてしまう。ぼくは「頭のいいひとなら理解できるはずだ」と思っているから、いつまでも解決できない、困る。
でも、会話というのは、頭のよしあしだけで進むわけではない。共有する知識の量、言葉が通じれば、なんとかなる。そして、ほんとうに思っていることは、通じるときもある。もちろん、通じないときもある。わからない。
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つまり、相手が「知っているはずだ」と仮定したのは当の自分自身であるはずなのに、「どうしてお前は知らないんだ」と逆切れするわけである。
頭がスラスラする。