絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

キルビル2

キルビル2を見た。友人と飯を食いながら、ぼくは、わかったような顔で批評家じみた言葉を吐くしかなかった。ぼくは、敵のいない作品について、語るべき言葉を持たない。
だから今から敵を捏造する、内なる敵、と言い換えても良い。
キルビルは、ひとつのジャンルになった。今まで誰がこのようなかたちで『子連れ狼』の粗筋を真剣に聞かなければならないと思わせる映画を撮ったか、スーパーヒーローの2面性について考えなければならない映画を撮ったか。ゴダールも、その他の亜流も、タランティーノ本人さえも、成し得なかった快挙だ。
上記のシーンを真剣に観たのは映画ファンではない、映画マニアではない、デートのついでに映画館を訪れたカップルだ、カンフー映画もマカロニも観たことのない恋人たちが、筋として当然に『子連れ狼』の粗筋を、アメコミ講義を、半蔵の刀を重要だと思ったのだ、わざとノイズを乗せた白黒も、発色のきついカラーも、退色したカラーも、ピントの甘いズームも、画面からはみだすフレーミングも、全てをただキルビルというものとして観たのだ。
そしてそれは絶対に正しい。
なぜなら、映画をみるということは、見ているその時スクリーンと対峙することであって、歴史や社会とは無縁でなければならないからだ。
果たして、汚れたぼくに映画を楽しむ権利などあるのだろうか?無駄に知識を詰め込み、過去の作品と関連づけて、目の前で起こりつつある面白い事件を見逃してはいないか?
この映画を楽しめた者は、映画に愛されている。
電話からの更新なので、乱文容赦願。