絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

ぱだんぱだん

 空耳アワーの第一回スペシャルでエディット・ピアフのパダンパダンが空耳ってて、気になってYouTubeで検索した。 あった。
http://www.youtube.com/watch?v=R85LXfkdcWA
 はじめてピアフの名前を知ったのは、山田章博のデビューしたときの短編で、その名も「ぱだんぱだん」。単行本のあとがきにピアフのことが説明してあって、ドアの閉まる音、心臓の音だとか、っ書いてあったのが印象に残っていた。他にも山田さんは『紅色魔術探偵団』の中で「暗い日曜日」モチーフを書いてる。山田さんのマンガは、ガルガンチュアとか、さまよえるオランダ人とか、いろいろなキーワードが出てきて、私がそういうのに興味を持つきっかけだった。私の中では荒木飛呂彦と同じ箱に入っている。見た目も含めて好き。
 カテゴリが演劇なのは、私にとって演劇というものが、結果的には全ての集成であるような気がするから。要は、劇ではなくて演の方なんだけれども。
ピアフでいくつか。
http://www.youtube.com/watch?v=rbsl5_203Ms
http://www.youtube.com/watch?v=mD1L3iS9jB0

マンガの絵がうまいとは、どういうことか。

関連記事:http://d.hatena.ne.jp/./screammachine/20060729#p1
要約:うまいマンガの絵とは、表現のために意図的に歪ませた絵のことである。しかし、その表現には二つの種類がある。
 最近連続して「マンガ絵のうまさって何?」というようなことを話したので、それについて考えたことをまとめてみたい。基本は要約に書いたとおり。ではまず「表現のために歪ませる」ってのはどういうことか、私がよく例に出すのはこちら。

 黒田硫黄の『大王』収録『THE WORLD CUP 1962』より。
 まさに、これぞマンガ!といった歪ませ方ではありませんか。フキダシとフキダシの間を移動するのと同時に、顔の向き、表情の変化、そして明暗、全てが表現されています。わかりづらいという方のために、あまり良いことではないんですが、コマを分断してみました。

 さあ、前のコマと見比べてください。元のコマにある躍動感がわかるでしょう。間に白線を引いただけで、位置は変えていません。ではなぜ元のコマが分断されていないかというと、コマ間の隙間は時間の経過を表すからです。このセリフは間をおかずに喋っている、だから時間の経過を表してはならない、ほぼ同時に起こったことを、ほぼ同時に起こったこととして。あるいは同時に見えたものを、同時に見せるために、この絵は分断されず、同じコマに描かれたのです。
 時間と空間を歪ませることのできる表現方法、それがマンガ絵の「歪み」なのです。
 そして、こちらは浦沢直樹の『PLUTO』から、ヘラクレスの横顔。

 地味なコマですが、ここにもう一つの「表現としての空間の歪み」が描かれているのがわかるでしょう。実際ならば、この角度で耳の後ろが見える場合、顔の前面はこんなにはっきりとは見えないのです。ところがこのコマでは、後頭部、首の後ろ、そして耳の後ろ側まで見えていながら、鼻の頭、そして黒目までもちゃんと見えている。だからヘラクレスの感情がわかる。
 そう、この絵は、見えるはずのないものを同時に見せるために、空間が左右に歪んでいるのです。
 うまいマンガの絵とは、ヒトコマの中で多くの表現をするために、うまく歪んでいる絵である。と定義できるのではないでしょうか?
 けれど、左右に歪んだ絵は多いが、上下に歪んだ絵は少ない。そこが、マンガの絵についてうまいかへたかを話すときに齟齬となるのかもしれませんので、そのあたりについて考えて、この項を終わります。
 人間の目というものは、左右の視差で立体を把握します。ですから平面にあるものを立体的に見せるためには、視差を表現しなければならない。逆を言えば、左右の幅が歪んでいる絵には、あまり違和感をおぼえないわけです。ところが、上下に歪んだ絵は、一見ただ曲がっているように見えてしまう。しかし、いったんその絵の読み方がわかると、そこから読み取れる情報は倍増する。なぜか。
 上下に歪んだ絵は、スクリーンに投影される映像から私たちが見る歪みと似ているのです。フィルムは上下に移動します。テレビの走査線も上から順に更新されていきます。私たちは映像というメディアを手に入れてから、平面における表現の多層性に、上下という選択を増やすことができたのです。
 
 なんか最後の画像だけ選択を間違えた気がしないでもないですが、まあそんな感じです。

「絵のうまさ」について議論しているとかならず決裂する4歳年下の女性がひとりいる。(中略)なぜ、ここまで話が噛み合わないのだろう。
http://d.hatena.ne.jp/yskszk/20061013#p1

 役立ちますでしょうか。

大王 (Cue comics)

大王 (Cue comics)

PLUTO (1) (ビッグコミックス)

PLUTO (1) (ビッグコミックス)

追記:なぜ大友克洋はマンガからアニメへ移行したのか。
 前述したとおり、マンガというのは、当たり前のように歪んだ身体を描かなければならないふしぎな表現方式なわけです*1
 たとえば手近なマンガを手にとってください。その中に登場する人物は、斜め前方を向いているなら、おそらく頭蓋骨の向きにくらべて顔面が正面(読者側)を向いているはずです。また、奥側の耳やモミアゲなども、ずいぶん前方へズレているのではありませんか?これは、リアルな絵柄であるか、ディフォルメされた絵柄であるかは、関係ないのです。なぜならこれも前述したとおり、三次元を二次元に変換する場合、視差を表現しなければ物体の一面しか描けないからです。当然、動きや感情を表現するために、同じ画面にひどく変形した身体が描かれる場合もあります。
 以上のことから、このような推測が成り立ちます。

  • マンガ絵とは、同時に起こったことを同時に表現するための方法である。
  • マンガ絵とは、同時に見えないものを同時に見えるようにするための方法である。
    • 全てのマンガは表現のために、上記二つの方法を利用する。

 同時性の必要がなければ、マンガという方法にこだわる必要もありません。大友克洋がアニメへ移行したのは、同時性に対する切迫した感覚(マンガでなければ表現できないもの)を、あまり必要としていなかったからなのでしょう。まあ、妄想ですけれども。
追記2
大暮維人小畑健などの、いうわゆるうまい絵と言われる作家に関してはhttp://d.hatena.ne.jp/./screammachine/20060729#p1参照。表現のための歪みは存在します。系列で言うと大張正巳、ことぶきつかさ、あたり。で、重要なのはそれが計算ではなく快感に基づいているということ。顔がこっちに伸びている方が気持ちいいからそう描くわけです。腕や足が異様に長いアクションシーンなど。ヘタなマンガ絵というのは、その表現の方向と絵の歪みがチグハグな場合を指すのではないかと思います。ちなみにデッサンのとれているマンガ家といえば、私は丸尾末広が浮かびますが、彼の場合は動きを表現するためにコマ落とし表現を使いますね。同じコマに違うアングルの顔が重なって描かれるわけです。これも「うまいマンガ絵」と言えます。

*1:似たものではプロセニアム(平面枠)の中で世界を表現する中世以降の演劇(プロセニアムの登場は15世紀ぐらい)における客席と役者の関係が近いと思われます