絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

2015年を振り返り、2016年について考える。

 2015年の5月、私はちいさな水槽を手にいれた。憧れていた水草水槽をはじめるためである。本で読んだ知識から、コケ取りのためのヌマエビと石巻貝を少々。通販で買った無農薬の水草と、カルキを抜いた水。水温計。仔細ははぶくが、それから私の家には四つの水槽とふたつの水瓶、たくさんの水草と、二匹のコリドラス、7匹のラミーノーズテトラ、10匹のメダカが住んでいる。そのときまで私は、ペットを飼うことに忌避感をおぼえていた。生き物は、死ぬからだ。私の知らないところで、私の知らない理由で、勝手に死ぬ。そんなことを、許せるはずもない。
 でも、なぜか、私はふいに、飼ってもよいような気がして、魚を飼い、そして死なせてしまい、たいそう悲しんだ。そして新しい魚を飼い、育てている。彼らの小さな脳、狭い視界、あるかどうかもわからない意識では、私の存在を認識することはできないだろう。水の中をふらふらと泳ぎ回り、餌をおとせばついばみ、そしてまたさまよう。底砂を掃除すれば、浮き上がったデトリタスをついばみ、はきだす。アホである。私はそれらの魚を、エビを、貝を見て、何らかの感情をおぼえる。愛でる、という、愛玩する、という感情だ。
 それが、私の2015年である。私は生き物を飼うことができるようになった。彼らが亡くなれば、悲しみがあるだろうが、私はまた新しい魚を飼い、水草を飼い、育てるだろう。もう、畏れはない、なぜなら私がどうなろうと、彼らはどこかで生きて、どこかで勝手に死ぬからだ。それは私にとっては何らかの喪失かもしれないが、得たものも少なからずある。少なくとも、彼らはそれなりによい環境で生き続けている。
 2016年になったら、もうひとつ水槽を作ろうと思っている。それは半分が陸地で、小さな川が水に流れ込むような、アクアテラリウムと呼ばれるやつだ。陸地部分には盆栽を植え、水辺にはカニを飼う。また、30センチキューブ水槽はリセットして、流木と砂で組んだコリドラス用の水槽にするつもりだ。濾過用のポンプとは別に湧き水を模すためのポンプをいれる予定である。2センチほどの小さなコリドラスが10匹もいれば、それはとても愛らしいものになるに違いない。
 これらはすべて事実であり、かつまた、たとえ話でもある。よいお年を。