絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

「あたりまえ」を減らしてまわりを不幸にするための、三つのふしぎテクニック。

 みなさんは「あたりまえ」のことが出来ない最近の若い奴や「あたりまえの」ことを理解できない異性にイライラすることはありませんか?今日はそんなあなたたちがイライラの壁を越え、あたりまえの涅槃へ到達するためのふしぎテクニックを紹介します。

あたりまえ」とは何か?

 人間の思考は、常に働いているわけではありません。たとえば、脳は効率よく働くために、たくさんの「あたりまえ」をおぼえて、効率よく省略しています。視覚においては、景色の中で注目していない看板の文字は読めませんし、おぼえていられません。人の顔もだいたいのパーツを見ておぼえた気になっているだけで、頭の中では「メガネとヒゲ……似ている!」などと勝手な解釈をしています。音だって有名な「カクテルパーティー効果」に見られるように、自分の気にしている言葉以外は「雑音」として処理されています。自分の声を録音したとき変な声に聞こえるのは、本当に聞こえている音が脳で省略されているからです。触覚も常に皮膚に何かが触れていると思いながら服を着ている人がいるでしょうか? 過度な締め付けや、表面の粗さがなければ、服を着ていることは気にならないはず。これも省略です。香水をつけすぎて臭い人が、やたらと他の人の臭いに敏感なのもそのためです(自分に似た臭いが省略されるため、遠い臭いに敏感になるのです)。
 あたりまえとは、生きていくうえで必要でありながら、ずっと気にしていられないぐらい煩雑なことについて、省略するために作られた脳のテクニックなのです。
 ここで「あたりまえ」が普段みなさんの使っている「あたりまえ」とつながります。
 電車に乗っていて、便意をもよおしたとき、みなさんは突然排便しますか? そんなことはしない? どうして? うんこは便所でするのがあたりまえだから? ところが原始の時代、ジャングルに暮らしていた私たちに便所はありませんでした。草の中を歩きながら垂れ流せばそれで要は足りました。インドでは今でも便器の周りがすべて便所なのだそうです(参照>http://cagami.net/dansyaku_blog/archive/002786.html【3/5】インドヤバイ)。でもここはインドでも原始でもない、現代の日本だ。だから電車の中で排便をしてはいけない、そんなのは常識だしあたりまえだ……そう、あたりまえです!
 あたりまえとは、不便さや不快さを排除するために、時代によって作られていく省略の技法なのです。あなたの不便さや、不快さを排除するために、近代になって作られた「あたりまえ」がたくさんあります。ところが、いつの間にか感覚は逆転し、あたりまえのことができていないと、不便さや不快さを感じるようになってしまいました。なぜなら「あたりまえ」は次々省略され、まとめられていくからです。もともとあった「あたりまえ」のリスクやメリットは忘れ去られ、ただ「あたりまえ」だからと感じるようになるのはそのためです。
 あらゆる出来事に対し、さまざまな人の感じる当たり前を知って対処できれば、つまらないイライラやすれ違いは回避できます。でもそんな風にいろいろ考えてみたって、世の中にのさばるずうずうしい人たちは気にしないもの。自分たちだけの少ないあたりまえを振りかざして大威張りです。だったらもう人のためになることなんて考えず、あたりまえを減らして生きてみませんか?今日からできる「あたりまえ」を減らす3つのテクニックを紹介します。

1.自分の感覚は絶対だと信じ込みましょう。

 物事の良し悪しを、全て主観で決めましょう。あなたが好ましいと思ったものは良いもので、嫌だと思ったものは悪いものだと決め付けるのです。たとえばマンガを読んで気分が悪くなったなら、そのマンガは悪書です。そんなものを読んでいる人は頭が悪くて性格が歪んでいて、物事の本当の価値に気付けない愚か者だと思い込むのです。なぜならそれは悪くてあたりまえだから。決してケースバイケースを想定しないでください、マンガと、それをとりまく環境を同一視してあたりまえの範疇でくくってください。読む人それぞれの都合や解釈を想定したら、自分の主観が絶対ではないと気付いてしまいます。

2.「バカ」と「病気」で断罪しましょう。

 自分の理解できることこそ最高で、そのほかは間違いか、勘違い、あるいはバカが適当なことを言っていると思い込みましょう。忠告や箴言受け入れてはいけません、なぜならそれは悪しき相対主義の誘惑だからです。ちょっとでも耳を貸せばすぐにあなたは影響を受けて、あらゆる人間にはあらゆる事情がある、というお題目に染められてしまうでしょう。あなたのあたりまえに反対する人は、いいですか、バカで理解ができないか、治りようのない病気で理解ができないかのどちらかであり、あなたのあたりまえが間違っている可能性は一ミリもないと信じ込みましょう。

3.自分の行いを正当化しましょう。

 「あたりまえ」が減っていくと、他人とのトラブルが増えます。あなたが上記の教えを守り10年ぐらい経つと、あなたの「あたりまえ」に反対する人はいなくなりますが、それでも「最近の若い奴」が出てきてはあなたの「あたりまえ」が実行できず、あなたはイライラすることになるのです。そうならないためには、必ず自分の今までの行いを正当化し、間違いなど一度も存在しなかったと断言しなければいけません。そして「最近の若い奴」が口を開こうものなら頭から罵り、怒鳴りつけ、言い訳をさせず、自分だけが正しいのだということを叩き込みましょう。間違いを修正するなんて論外です、そんなことをしたら、何の価値もないあなたの言葉が一切の価値を失ってしまいますよ!

気をつけて!

 上記三つの教えを見て、こんな極端なことできるわけがない、と思ったあなたは気をつけて! 人間にはもともと「あたりまえ」が機構として備わっています。上記三つの教えに近いこと、似たようなことは誰でも「あたりまえ」に行っていることなのですよ。たとえばテーブルマナー、場所によっての決まりごとではなく、快/不快の尺度で選んでいませんか? たとえば相対主義のフリをした事なかれ主義、人それぞれと口にしながらそれぞれの人への配慮をないがしろにしていませんか? たとえば……頭の固い老人や、ゴマすり上司、効率の悪い会社のシステムにイライラしている若いあなたは、自分の新しい行いが正しいのだと信じていませんか?
 安心してください、当てはまったあなたはすぐにでも思考を停止し、あたりまえを一元化できるようになります! 男だから、女だから、○○人だから、○○が好きだから……そして次第に脳は働くことをやめ、省略した世界であなたのできることはほとんどありません。なにしろ「あたりまえ」なんですからね! あっ、もちろんこのテクニックを利用して負ったいかなる損害も当方は一切関知しません! 逆に利用するといいような気もするけれど、どうかなァ……できるかなァ……?

関連

「良い映画」と「好きな映画」の違い。- 絶叫機械+絶望中止
自分の「好き」を取り出すことで、評価を主観から切り離す(ように、努力できる)。
思考停止チェッカー 「金」「我」「壁」「村」四つの思考停止点
「思考停止」自体は技術であって悪ではない。物理的に抜け出せないループ内にいるときは一時停止も有効。もっと恐ろしいのは同じ思考を停止せずループさせている場合だ。
「わからない」ままでいる勇気。
なぜ「わかる」と言わなきゃならないのか。