絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

演技と演出の勉強会、第四回。


 第四回は恒例、北新宿生涯学習館の調理室にて。今回は舞台における動きの基本や、発声の仕組みをおさらいしてみました。写真はあれですね、発声練習の前のストレッチ。

向き・距離・重心

 演技を学ぶとき、まずはじめに知っておいたことがいいことって、何でしょうね。感情の込め方ですか? うまい台詞の言い方? なるほど、それも大切なことかもしれません。でも本当に?それが一番最初でいいの?
 たとえば車の運転を学ぶとき、一番最初に勉強するのって何でしたっけね、ハンドルさばき? かっこいいドリフトの仕方? いやたぶんね、エンジンの仕組みとか、ハンドルを回すとどうしてタイヤが動くのか、といったことだと思うんですよ。その次が交通法規でしょ。そりゃ実地で走った方が「うまく」はなるかもしれない。でも仕組みを知らないで走っていたら、エンストしたとき大変困ってしまうんじゃないかな。
 というわけで演技を学ぶときは、まずこの三つを理解し、おぼえてほしいのですね。それは「向き」と「距離」そして「重心」です。

なぜ正面を向くのか。

 舞台を見ていて「変だなあ」と思ったりすることはありませんか。たとえば感動的なシーンになると、不意に隣の役者から目を離して客席の方を向いて喋り出す役者。あれ? この人はいったいどこを向いて喋ってるんだろう……観客? 物語の中には「観客」なんて役はいないはずなのに。
 もし舞台を見ていてそれが気になったとしたら、おそらくその役者さんは「なぜ自分が正面を向いているのか」が、わかっていないからなんですね、恐ろしいことに。いやもちろん多くの役者さんは自覚的だと思いますよ。でも知らなくても手なりでやれちゃうことでもあります。いわゆる「正面芝居」ってやつですね。
 「物語」を演じる上で、この効能はすさまじいものがあります。なぜなら観客にとって役者の顔が見えて当たり前になってしまうと、見えないというだけで、それが特殊な場面に見えてくるからなのです。テーブルにおいてある水の入ったコップをとって渡すというだけでも、顔が見えているのと見えていないのとでは、感じ方にも違いが出るでしょう。たとえば前提条件として、AはBの遺産を狙っている、などの前情報があれば、後ろを向いてコップをとるだけで観客は「あの水には毒が入っているのではないだろうか」と疑い始めるわけです。これは観客が、客観的に二人の人物を見ているはずなのに、水を差し出した人の表情が見えないという「自分の感じ方」を、そのまま水をもらう人の知るべき感覚として当てはめてしまうからなんですね。もちろん映画やマンガにも使われる技法ですが、舞台の場合ほんの少し「向き」を変えるだけでいいのだから、便利ですね。
 そして、役者をやるときは、観客の逆を想定しなきゃならない。つまり、舞台にいる自分の主観には、観客は決して共感できないのだということを、知らなきゃいかんのです。正面芝居をしろと言われた初心者が一番最初に拒否感をおぼえるのもコレです。つまり気持ちいい感情の動きを阻害されちゃう。だって普段は人と話していて、突然横を向いて話し出したりはしないからです。
 では物語の中で自然に客席を向いたり向かなかったりするためには、どうすれば良いのでしょうか。もうあきらめて舞台上の役者は役者同士で喋っちゃう、客席なんてないものと思う! もちろんそれも解決方法のひとつです。ですが「物語」を演じるのはとても難しい。観客の側に積極的な「見る」姿勢を強いるからです。しかも、もし演じたいものが芸術作品ではなくて、エンタテインメント作品であるならば、単にひとつの手法を捨て去るだけになります。映画で言えば切り返しのカット中、一度も「話を聞いている相手の顔」がインサートされないようなものです。せっかくの伝える手法ですから、活用したほうがよろしい。でも演じるのは不自然だ。ではどうするか。
 「目をそらす」だけで解決できます。照れくさいときや、面と向かって話しづらいとき、独り言の反応を返すとき、話相手から目をそらすことはありませんか。それをやるだけです。ただし、そらす方向に意味を持たせるように。客席に顔を見せる、つまり共感や反発などの反応を生みたければ客席へ、見せずに想像をさせたい場合は客席以外へそらせばいいのです。このときまぶしそうに夕陽を眺めるとコントっぽくなるから注意が必要です(このとき夕陽はたいがい客席の中央上あたりに出ているみたいです)。

距離

 次に、これも舞台ならではの奇妙な利点、距離の登場です。
 いかにも舞台らしい舞台の例として、上手手前と下手奥に立った二人が外側を向いて喋る、なんてのがありますね。これ現実に見たらかなり奇妙な光景です、だって二人ともそっぽを向いてるわけですから。でもちゃんとした舞台だと気にならない、なぜならこれは、見た目そのまま心理的な距離を表しているからです……といっても、見た目の距離が遠いから心が離れている、って意味じゃありません。もっと単純に、距離は重要性として認識されます。
 なにしろ観客は、遠く離れた二人の演技を見るために首を振るか目を動かすか、もしくはどちらかを切り捨てるという選択をしなければいけないからです。そのコストの分だけ観客は重要度を感じてくれます。役者同士の距離が近かったら、そんな苦労は必要ありません、すると観客はその関係性を重要に思えなくなってしまいます。ということは、闇雲に離れてしまっては、観客は常にコストをかけることになり、重要性は慣らされて、ちっとも重要に感じてもらえません。役者がやたらと立ったり座ったり移動したり戻ったりする舞台に感じる台無し感は、それが原因です。
 ともあれそのように表された「重要性」に、物語の解釈が重なると、観客はそこに心理的な距離を読み取ります。近いか遠いかはケースバイケースですが、少なくともまったく意味がないようには、受け取れないわけです。

重心

 さいごは重心です。歩いて立ち止まる、というだけの動きでも、立ち止まるときには三つの重心を使い分けることができます。フロント、ニュートラル、バック。前のめりに立ち止まる、その場に立ち止まる、後じさりしながら立ち止まる、という三つの止まり方です。よく一生懸命お芝居をしようと思ってか、常に前のめりに立ち止まる人がいますが、その人が演じた役はどうしても「常に前のめり」な性格に見えてしまいます。役者の一生懸命がそのまま出てしまっている例がそれです。
 あとなぜか、ずっと上を向いて喋る人がいます、最後列の客席でやっと正面顔、といった角度です。これは重心が後ろで固定されてしまっているので、立ち止まって喋るだけでアゴがあがっていってしまうんですね。理由を探れば「客席を見たくない」だとか「恥ずかしい」だとか色々出てくるのかもしれませんが、原因は「重心が後ろにかたむいてる」ってだけです。

まとめ

ざっくりと「向き・距離・重心」について説明してみました。実際はこれに実演が入ってとてもわかりやすいと評判の勉強会ですが、第五回はなんと今日、2月18日木曜日18時からになります。その次も木曜日の25日、場所は北新宿生涯学習館です。参加希望の方はvinylbug@hotmail.comまでご連絡を。