絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

ぼんやりと白く、薄くて見えないもの。

 ぼくだって、むかしはよくファミレスに行って何時間も話していた。進化論や行動学、宇宙、原子や素粒子、心理学や言語学や絵や模型やきちがいの話をたくさんした。
 ファミレスに行くといろいろな人がいる、紙をばーっと広げてマンガのネームを描いている人がいるとついドリンクバーへ行く途中、横目で覗き込んでしまうけど、鉛筆やシャープペンで描かれたマンガのような何かはアウトラインがうっすら見えるだけで絵柄も判別できない。
 水を頭からかぶったことがある。向かいに座った人物に対して、あんまりにも頭にきたからだ。思わずぶっかけてやろうと水の入ったコップを持った。でもその人のことを好きだったぼくは、そのコップを自分の頭の上にやって、傾けた。水はぱしゃっと自分にかかった。目の前の人は目を丸くして、笑い出した。それから数年して、またぼくは怒った。そのときはコップに持った水をその人にかけた。ぼくは相変わらずその人のことを好きだったけれど、その人はもうぼくのことを好きじゃなかったからだ。
 ファミレスにはいろいろな人がいる。ジャージを着て茶色の髪をした若い女が二人、キャバクラの一日体験についてシミュレーションをしていた。一人は最近眠れないのだと言い、もう一人はそれを聞き流していた。一人が見た夢の話をした、二枚あるガラスの板のあいだにはさまって、助けがくるのを待っているのだが、誰も助けてはくれず、上からはずっと、白い綿が降ってきていて、それはとても暖かいのだそうだ。
 ぼくたちは近所に住んでいて、近くのファミレスで何時間も話しては、眠くなるとそれぞれの家に帰った。いまはもう誰も近くには住んでいないし、ぼくもファミレスに行かなくなった。