絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

ヤッシャッセー、ナンシャッショ!

だいたい人が人を評するとき、本当はこうに違いないなんて主観で予想した内面は、当の予想した本人の内面に相違ないことが多い。
先日ラーメン屋に行き、こんな光景を見た。大通りに面したフランチャイズ展開のラーメン屋。店の内装や売りは店長の裁量にある程度任され、起死回生の一手として注目されている店だ。私の出した注文を、たどたどしく噛みながら伝えるバイト君に、一回も目を合わせることなく店長は言った。
「いいから焦んなくていいから、でも君の方がM君(厨房でラーメン作ってるバイト)より1ヶ月早く入ってるんだからさ、ほんとは君が厨房にいるべきでさ、まあ焦んないで、やれることをやってさ、焦んないで仕事おぼえてさ」
見たところバイト君は焦っている様子はない、ただ緊張していることは伝わった。手が震えていたからだ。やがてバイト君は震える手から卵を落として割ってしまう。バイト君は真っ先に、店長へ。「すみません!」と謝る。他のバイトと店長は客に「失礼しましたァ!」と怒鳴り付ける。
すべてがちぐはぐで、居心地が悪い。威勢の良さも動きの早さも、何か別の意味を持つように見えてくる。ティッシュを取り床を拭こうとするバイト君を止めて、店長はささやく。
「そういうことじゃなくてモップとかさ、焦んないでいいから、少しずつでも仕事おぼえてさ、もう2ヶ月経つわけだしさ、明るくさ、焦んないでいいから……うん、ほんと有名大学出てさ、なんでこんなとこいるのか分かんないけどさ、焦んなくていいから仕事おぼえてさ」
小さな声でハイ、と呟き、バイト君はモップを前後させた。さあ、本当に焦っているのは誰だろうか、バイト君か、店長か。それにしても私はなぜこんな店で怒鳴り声と説教を聞きながらラーメンを待っているのだろうか? 本当に焦っているのは、聞き耳を立てている私かもしれない。人は勝手に他人の内面を想像し、苛立ち、侮るからだ。残るのは結果だけ、M君の作ったラーメンは旨かった。