絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

空間ゼリーVol.9 私、わからぬ

 演劇が嫌いだ、という友人がいた。映画は観るのに何で、と訊けば、フィルムはおれを見ない、と答えた。
 彼によれば、舞台というものは生身の人間が客席を見るものなのだ。だから、見られて平気なやつは、よほど厚顔無恥か露出狂に違いないらしい。舞台の客は、正面を向いて喋るやつに見られるために劇場へ足を運ぶのだ。それはまあ、確かにそういう面もあるだろう。

 さて、空間ゼリーである。といっても初めて接する劇団だ。誘われるままに、初日を観に行った。
 今でも、それが正しい言葉なのかはわからない、ぼくは終わったあとで、長男役の俳優に「面白かったよ」と言った。彼は不思議そうな顔をしていた。そうだ、面白かった、という言葉は、あまり適切ではなかったかもしれない。
 だってぼくは、ずっとイライラしていたんだから。
 ぼくの席は、ちょうど舞台と並行に位置する場所にあった。だというのに上演中、一度も役者と目が合わなかった。それどころではない、ほとんどの場面で、役者は舞台の後方にある庭を見ながら喋ったのだ。そして、どの俳優も互いに近すぎる距離まで近付いて、ちらちら顔を見て喋る。
 はじめはなんじゃこりゃ、と思った。が、母親役などはわざわざ遠回りに回転して客席に顔を見せないし、重要っぽいセリフはほとんど後ろを向いて言っている。それにしてはオーソドックスな舞台装置が気になるけれども「これは狙いに違いない」と思うことにした。そして、全員が後ろを向いて後ろ向きの人物に対し、泣かせの芝居をするという、なんとも贅沢な場面を目撃する段になって、確信した、こりゃすごい。

 舞台の上で怒鳴りあい互いの存在を確かめ合う俳優たちの顔は一個も見えず、ただぼくはソファに座った長男の、いたたまれない、というか、所在ない、といった感じのあいまいな表情を見続けたのだ。事件は起こる、そして解決する、だがなぜかは提示されない。ひゃあ、怖い。やがて訪れるアンチクライマックスまで、舞台の上にいる人間は、誰もこちらを見なかった。
 何も変化せず、安穏と日々が過ぎる、繰り返す、逃げられない。わからぬ、何もわからぬ。知らない人間の、わからぬモヤモヤを、薄目で覗き見るようなむずがゆさ。あ、隔靴掻痒ってこんな時に使うのかしら。役者としては絶対に立ちたくないが、次回作を観たいと思わせられた。
 あの友人にもし連絡がとれたら、絶対にこっちを見ないから、といって呼んでやりたい。
 観終わったあとで、アンケートを書くのに隣の人の鉛筆を借りた。隣の人は一言「暖房が強すぎる」と書いていた。いやあ、あの汗はたぶん。

空間ゼリー http://www.kuuze.com/


追記:関連あるかも、な過去記事>http://d.hatena.ne.jp/./screammachine/20061110

追記2:

 劇の全体的に馬鹿女密度が高く、男目線からすると「そんなのほっとけよ馬鹿女なんだからよ」と思うような事例が次々と発生し、世話焼きなんだか物好きなんだか分からない親友とか、うだつがあがらないくせに独立して会社作った男に罵声を浴びせる次女とか、そもそもお前らもたいした仕事してもいねーだろという状況をあそこまで濃密に描けるというのは凄いな。
空間ゼリー『私、わからぬ』を見物に逝った
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2008/04/post_4abe.html

ズバリだなあ。
 
追記3:
なんと次回作を観に行くのであるが、2ヶ月後に公演と言うのはうらやましいペースだ。

いつでも欲してて、気がついたら ぐちゃぐちゃ でみんなで集まってると安心するし、一人になっても生きてはいける。 かけ算で関係を考えてる私たちの話。
サンモールスタジオ 提携公演 空間ゼリー vol.10 「I do I want」2008年6月13日(金)〜22日(日)

どうやら予告を読むに、今度もひどいずるずるべったらな人間関係を見せてくれるらしい、楽しみだ。