絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

どこにも行かずに旅をする百の方法。

 昔、川べりを歩いて海まで行こうとしたことがある。
一度は間違えて上流に進み、公園で終わった。二度目はビルに阻まれ、その向こうへ行く気をなくした。三度目に歩いたときは、まったく知らない土地を歩きながら海が近付いてくることを願い、日暮れとともに怖くなり、やがて動けなくなったおれを地元の警官が見つけ、迷子札が役に立ち、母親が迎えに来て、おれを殴った。八才頃のことだ。
 夕暮れも、知らない土地も、見たことのない景色も、どれもおれを歓迎してはくれなかった。今でもおぼえているのは、川沿いにあった蔦だらけの団地。まだ日は高く、川沿いの道から少し入ると、団地と団地の間が大きく開けていて、木漏れ日をさけるように、そこに張られたテントの下に、無数の自転車が置いてあった。
 放置自転車を集めて売る市のようなものだと、その当時のおれは解釈し、たぶんそれは正解だったと思う。汚くサビた自転車たちは、厚みがないみたいに押しつぶされて、無造作に並べられていた。ひとの気配もなく、ただ地面の茶色と、団地の灰色、蔦の緑だけが記憶に残っている。
 川沿いの道をそれて、その自転車の群れへ気が移ったのは、これから歩いて行く海への距離と、足の疲れが原因だったのかもしれない。だが、一度それると元に戻れないような気がして、おれは川沿いの道を離れられず、遠くからその自転車たちを眺めるだけだった。その団地から遠ざかると、子供たちのはしゃぐ声が聞こえた気がした。さっき見たときは誰もいなかったのに、遠ざかると現れるのだろうか。その時の疎外感が、今も続いている。もしあの時道をそれていたら、おれはあの自転車たちの中で誰かに出会えただろうか。それとも二度とあの場所から戻ることはできなかっただろうか。
「戻れないわけないですよ、ただ帰るのが早まっただけでしょ、まったくロマンチックだなあ、そんなの犬に食わせておしまいなさい、あ、どうも神様ですけれども」
 そんなラジオの枕みたいな喋り方をして、神様はおれの思考をかき乱した。モザイクの追加作業も佳境に入り、もはやバグチェック的な作業しかあとは残されていない。これがオリジナルの作品なら、モザイクから少しだけ漏れている毛や亀頭を探し出して、ノミをプチプチつぶすように修正を加えるところだが、もうすでにモザイクのかかっている素材に、さらに大きなモザイクをかけただけの総集編である、よほどのことがない限り、チェックのあとで大きな作業が必要になることもない。
 だから、この時間はいつも、おれはふと見た景色から連想する記憶を弄んだ。似た髪形の女と少し付き合ったことがある。あの子も肌が白くって、喋るときにすぐ笑うんだ。鼻の上、目頭と鼻頭をむすんだ三角形の真ん中あたりをくしゃっとさせて笑うのが流行したのは何年ごろだっけ? あのころおれはイベント会社で働いていた、その現場で知り合ったメイクさんのアシスタントからもらった電話番号の紙を、一年後に見つけたときは電話をかけるべきか捨てるべきか迷ったものだ。
「電話をかけてどうするのさ、はいこんにちは、ぼくは、誰ですか?何て言うの?」と、おどけた調子で神様は笑った。まだ出会ってから半日も経たないのに、神様はすっかりおれの友達気どりだ。
「その時はおぼえていたんだよ、だから問題はかけてどうするのか、ってことだったと思う、たぶん」と頭で答えると、首をぐるりと一回まわし、おれはヘッドホンをはずした。煙草は吸わないが、休憩時間は必要だ。さて一段落つきましたよ、という顔をして、おれは独り言を言った。「お茶、買ってこようかな」
 これは、事務系の仕事をしていたときの癖で、しかしどこでも役に立っているスキルだ。何も言わないで席を立てば、サボリと区別はつかない。かといって「今からコンビニに行きますが、何かを買ってくる用事を承りましょうか?」では、下手に出過ぎる。大切なのは対等さで、パシリをやりたくないが拒否するほどでもない立場の場合は独り言が一番安全策なのだ。
 すると、イマシロさんが椅子をそのままに、ぐるりと体をまわして、おれに笑いかけた。「ぼくも行く、ちょっと待って」
 数分後、コンビニだったはずの建物の前に、おれとイマシロさんは会話もなく立ちすくんでいた。
「潰れちゃったんだね」とイマシロさんが口を開けた。
「気づきませんでしたね」とおれは答えた。
 編集部の近くには三つのコンビニがある。仮にAとB、そしてCとする。今おれたちが立っているのは一番近くにあるコンビニAであるが、これはいつの間にか潰れていたので元コンビニA、である。問題なのはその距離で、もし二番目に近いコンビニBに行っていたとすると、そのコンビニBから三番目のコンビニCまでは、さほど遠くはないので、もしコンビニBが不慮の事故などでなくなっていたとしても、コンビニCへ行ったおれたちがした余計な運動は、元コンビニB(仮)からコンビニCへの往復移動だけ、ということになる。ところがこのコンビニAからコンビニBまで移動するには、一度編集部のあるビルを横目に見ながら、正反対の方向へと歩かなければならないのだ。つまりコンビニAを一番近いと思ってやって来たおれたちは、結果的には元コンビニAから編集部までの往復距離+編集部とコンビニCの往復距離を歩かなければならない。
 しかも、コンビニBとコンビニAの距離差は、地図上はほんの数十メートルなのだ。
 おれたちはコンビニBへと歩みを進めた。
コンビニエンスストア、なんて言ったって、ちっとも便利じゃないね」とイマシロさんは笑った。このひとはいつ見ても笑っていて、この前などライター相手に怒りながら笑っていたので、間抜けな失敗をしたライターは怒られているのか大した失敗ではないのかわかりかねる様子で苦笑いを浮かべていた。イマシロさん。どうしておれはこのひとの名前だけおぼえているんだろう。好きか嫌いかと問われたら、困るタイプではある。嫌いではないが苦手な部分も多いし、好きと一言で表せない程度には複雑な感情を抱いてしまう。イマシロさんはおれの名前をおぼえているだろうか。まさか「おれの名前わかりますか」なんて聞くわけにもいかないし、何しろどんなレベルで固有名詞がなくなったのかがわからない。もしこれが病気なのだとしたら、たとえ教えてもらったとしても、おれは、おれの名前を思い出せないだろう。
 むかし、催眠術をかけてもらったときに、数字の六を忘れたことがある。六という数字を見ても、なんと読むのか思い出せない。それどころではなく、この耳が「ろく」という音を聞いてなお、口からは「ろく」という音が出ないのだ。この感覚と、いまの感覚は似ている。
 こうなって気づいたことだが、同じ職場で何日も同じ仕事をしていると、名前がいらなくなる。男尊女卑というわけでもないのに、長く連れ添っていると妻の名前が「お前」になるようなものだ。そう、夫の名前だって、長く一緒にいれば次第に「あなた」へと変貌していく。人間というのは、なるべく単純な言葉だけを交わして生きていたいのかもしれない。出会った人間の名前と顔をすべておぼていられたら、金持ちか政治家(か、その両方)になれる、と誰かが書いていた気がする。そんなことができれば、確かにどちらにでもなれるだろう。
「そう、できればなれるんだよ、それが自己啓発のテクニックなんだってば」
 突然神様が出てきたので、おれは思わず立ち止まった。
「一日一万文字、そのことさえ守れたら、金持ちになれるんだ!ね、わかるでしょ!」
「うるさい!黙れ!静かにしろ!」と思い、おれは奥歯をかみしめた。
 おれが立ち止まったので、イマシロさんはおれのことを気にしている。顔色悪いよ、どうしたの? イマシロさんにのぞきこまれて、おれは脂汗を流しそうになる。おれの目の奥に、気味の悪い神様とやらが鎮座していて、それと目が合った死ぬみたいな勢いで、おれは目をそらす。
「いや、大丈夫ですよ、立ちくらみで、行きましょう」
 イマシロさんはあまり気にしていない様子で、先に立って歩き出した。「寒いね」「寒いですね」「最近どう」「ぼちぼちですね」何て会話をしながら歩いていると、いろいろなわずらわしいことが消えて、まるで普通の生活をしている普通の人間みたいな感じがした。神様は喋らなかった、ふてくされているのかもしれなかった。
「イマシロさん」口に出してみる、間違えていないだろうな、違う名前だったりしないだろうな。「ん?」普通に返事が出た、どうやらこのひとの名前はイマシロさんで間違いないらしい。
「イマシロさん、一日一万文字書いたら金持ちになれると思いますか」おれは訊いた。イマシロさんは目を丸くして、笑った。
「何の宗教? 一万文字ってお経か何か?」
 写経、というものがある。ありがたい天竺のお経を、三蔵法師は全部写経する。お経は読んでも効果があるが、書き写すとさらに効果が倍増するのである。あぶってもいいが、静脈注射だとさらにイイ、みたいな話である。ちなみにチベットの方では読むのすら面倒がった誰かが、お教の書いてある筒に棒をさして、一回転させたら一回唱えたことになる、と考えだした。クルクル回せばそれだけ功徳がつめたことになる、らしい。もはやお経がお経である意義さえなく、文字が読めなくてもかまわない道理である。
「いや、違うんです、何かこう、思ったこととかを、一万文字」
「セラピー効果ってやつかな、金持ちになれるかどうかはわからないけど、つづけたら何がしかの効果はあるだろうねー、でもその前に気が狂いそうだけど」
「気が狂う?」口の中が乾いてくるのがわかった。確かに順番は違うかもしれないが、はた目から見ればそんな順番なんて些細なことだろう。気が狂っていることがわかるのは、気が狂っていることがわかる程度に何かが起こったあとなのだ。おれの気狂いが発覚する、警官がおれの部屋を捜索する、出てくる紙きれにビッシリと書かれた文字、それははかったように毎日一万文字。そうか、一万文字書いたから狂うのも、狂ったから一万文字書き続けるのも同じことか。イマシロさんは少し考えてからこう言った。
夢日記を付け続けると狂うって言うでしょ、あんな感じでさ、頭の中にあることを全部文字に変えていったらおかしくなっちゃうんじゃないかなあ、おれは文字ベースの人間じゃないからそう思うのかもしれないけど。だって作家なんて一日何文字書くんだ、って話だもんねえ」
「作家ってのは、みんな狂ってるのかもしれないですね」と一般論に落とし込むおれ。
「うん、それはデザインしてるときに、いっつも思うことだな。おれたちは配置するのがメインの仕事でさ、動かして位置を決めるのにセンスは必要だけど、それって訓練すればどうにかなるものなんだよね。職人だなあ、って感じるものいつも。それにさ、デザインって「一日一万文字」みたいに量じゃはかれないからさあ」
 コンビニBが近づいて、おれとイマシロさんはポケットに手を入れた。ポケットにジャラ銭を入れるのも、ジャンキーの共通点だ。浮浪者を見ているとよくわかる、ある種の生活を繰り返していると、識閥の値がぐんと下がって、あらゆることがどうでもよくなる。恐ろしいことに、浮浪者の大半は自分が臭いことを知っている。知っていながら、それをどうにかすることをあきらめてしまう。段ボールの家に住み、よごれた毛布の中にうずもれることも、厭わないのではなく、厭いながら、あきらめているのだ。 
 おそらくそれは、おれたちがコンビニのメシを食ったり、居酒屋で安い酒を飲むのと同じことだ。それがゴミのようなものでも、それしかなければそれを食う。慣れというのは、人間にもともと備わっている機能なのだと思う。だいたい洞窟で生きている頃は、臭くて汚いのが普通だったはずだし、それがちょっと服でも着るようになったからといって、突然平気ではなくなるように進化したはずがない。
 ジャンキーは、大きな金か、小銭以外は持ち歩かない。できることなら大きな金だって持ち歩きたくはない。なぜなら大きな金はすぐにパケに変わるからだ。それに、財布はどうしたって無くなるようにできている。社会生活を営むようになると、シラフでいる時間が増えて、なんとかカードや何かを入れるものぐらいは持てるようになるが、それに合わせて小銭入れなどを持ち歩くなど、到底不可能なことに違いない。
 そうしてジャンキーは、ポケットに入れた小銭が汗で変色する生活に慣れる。あきらめる。識閥の値を下げて対応する、新しい生活に乾杯。
 コンビニに入り、食物の棚を物色する。アンパンを手に取ったイマシロさんがニヤニヤ笑う。加熱処理されていても、芥子の実は魅力的だ。おれもあいまいに笑う。おにぎりひとつ、パンひとつ、紙パックのお茶ひとつ。四百五十一円。毎日コンビニで消費する金額を考えると、どうして自炊して弁当を持ち歩かないのかを疑問に思うこともある。弁当を作ったり、食事を用意する時間を削ってすることといえば、自慰と睡眠だけだ。
 自慰と睡眠、飯を食う、それらを賄うために、おれはモザイクをかけ続ける。モニターの中に男の裸が映る。くそ、バグ発見。雑誌基準でお前にはモザイクかけなきゃならないってのに、どうして出たり入ったりするんだよ、おとなしく画面の斜め下で腹だけ出していてくれよ、マウスをカチカチと鳴らしながらおれは悪態を吐く。言葉にはしない、ため息や、ああ、と呻く声だけが漏れる。エアコンがヴィーヴィー頑張っている、唇がピリピリ音をたてて割れる。紙パックのお茶がおれの内臓にしみこんでいく。マウスで位置指定、左クリック、コマ送り、位置指定、左クリック、コマ送り、位置指定、気が狂う。
 どうせ狂うなら、一万文字書いてから狂おうか。
 神様が、待ってましたとばかりに喋り始めた。
「そう、そうなんだ、書いてみたらいいんじゃないかと思うんだよ。何も今すぐ役に立つことや、面白いことを書けって言ってるんじゃないんだよ。良いか悪いかは私が判断するから、とにかく書いてほしいんだ、一日一万文字」
「あのさ、思うんだけど、そういうのは作家志望のやつのところにいってやればいいんじゃないかな。よく言うじゃないか、やつら『いい編集者がいれば、おれだっていいものが書けるのに』って」
「誰だってそうだよ、いい編集者がいれば、いいトリミングができる、だからほら、ね?私に任せてみなさいよ」
 椅子から立ち上がり、トイレに向かう。乾燥しているから水分をとる、吸収されないですぐに出ていく。悪循環だとは思うけどエアコンの効き具合に文句を言うわけにもいかない。労働環境の改善を望むほどに、おれが真面目に働いているとは到底思えないからだ。小便を垂らしながらおれは神様に話しかけた。
「なあ、何で一万文字なんだ?三千文字じゃダメな理由って何だ?」
「自分で言ってただろう、三千文字なら書けるって。だからそれじゃダメなんです、一日一万文字を書けなかったら、それ以上書けるようにはならない。神様うそつかない」
 おれはふと、子供のころに読んだ漫画を思い出した。
「忍者が麻の種を埋めてさ、成長するスピードに合わせてジャンプしていると、高く跳べるようになるみたいもんか」
「そう!それ!」
「でもさ、どうがんばったって3メートルは飛べないだろ?」
「いや、跳べるようになるんだよ、なぜなら跳ぶのは1メートルでいいからだ」
「一日1メートル?」
「一日一万文字」
「やっぱりお前はおれなのか」
「そうかもしれない」
 最後に口に出したのが、どっちの言葉だったのか。ドアを開けて入ってきたチーフが怪訝な顔でこっちを見た。小便はとっくにとまっていた。場所を入れ替わり、洗面台へ向かう。蛍光灯がおれの顔を照らしている、角度が違うのか、ずいぶんと顔色がよく見える。おれは手を洗いながらチーフの目を見て言った。
「あの、おれって、なんて名前でしたっけ」
 砂を噛むような顔、というものがあるとすれば、そのときのチーフはそんな顔だった。口が二度開いたが、二度とも何も言わずに閉まった。
「はは、冗談ですよ、冗談」とおれは笑った。
 トイレを出てからしばらくは、笑顔が顔から消えなかった。あいつ、思い出せなかったぞ、おれの名前を思い出せなかった。喝采というのか、もし観客席があればおれのストライクな質問に声援が飛んだはずだ。
 名前なんて知らなくていいんだ。どこかの書類にはおれの名前が書いてあるだろう、それはおれのあずかり知らぬままで、おれも、誰も、おれの名前なんて知らないままでいい。危うく神様の作戦にひっかかるところだった、自分が誰だかわからなくたっておれは困らない、背もたれに体をあずけようとして、その深さにおびえて体を起こした。
 この椅子の背もたれにはいつまで経っても慣れない。思ったより深くしずむくせに、気持ち良く眠れるほどにはしずまない。何よりやわらかすぎて、手ごたえがないのだ。あのとき、夕暮れに歩いた川べりを思い出す。背もたれがやわらかいのも、川の終わりが見えないのも、どうして怖いのかはわかっている。どちらも自分の考えた深さじゃないからだ。
 編集部のビデオ班は、おれの入る前に三度引っ越しをしている。同じビルの別の階から一回、同じフロアの中で二回。どちらも人員の大幅な入れ替えと、データの一括化が同時に行われたそうだ。
 あるものを、違う形に切り刻み、組み立てて、誰かに渡す。それが編集者の仕事だ。そうすると自分はすぐれた編集者であると自称する神様は、最後の点でやっぱり自称だ。なぜなら神様がいくら素晴らしい作品を組み立てたって、それを持って誰かに見せるのはやっぱりおれだから。最初から神様なんていなくても、おれがもしそれを書けるならおれはそれを書いているだろう。書かないなら、それは書けないのではないかもしれないが、やっぱり書けないのと同じなのだ。いい作家は悪い編集者がいても書ける。大切なのは書くということであって、書けるということはたいした問題ではない。
「どうだい神様、立派な論理だろう」
 神様は答えなかった。このままどこかへ行ってしまえばいい、おれは神様なんていらないんだからな。子供のころ、母親が宗教にハマっていた。体に不純物を入れるのを嫌がる宗教だったので、父親に殴られて折れた前歯を入れたのは、おれが中学にあがったときだった。その頃は宗教ではなくニューエイジな何かにハマっていたので、毎日食卓には大豆で作ったニセの肉が並んでいた。まさか母親も十数年後には食べ放題の安い焼き肉屋に行くだけで、同じニセ肉が食えるようになるとは思っていなかったに違いない。大豆由来だから健康にいいってのは、ルルドの泉だから病気が治るのと同じくらい妙な論理だったのだと今は思う。当時はただまずいという言葉をうす茶色の物体とともに呑み込んでいただけだ。
 アパートに帰って服を着替える。ゆるいジャージを部屋着にしてから少し太った気がする、座るときに腹回りが楽、ということはやはり太ったということなんだろう。自分の体重を計らなくなったのはいつごろからだったか、少し前には体重計がどこかにあったはずだが、いまは部屋のどこにあるのかがわからない。
 ボドボドボドと、トタン壁を叩く音がした。窓にピシピシと飛沫が飛ぶ。
「あれは何だ」と神様が訊いた。おれは笑いをこらえながら答えた。
「上の階に馬鹿が住んでてね、夜中に小便をするんだ、窓から外に向かって。でも勢いがなくてさ、前の壁に当たって窓に跳ね返る。ほら、窓に点々と白いつぶがついているだろう?あれは尿の中にあるカルシウムが凝固したものだと思う。昔は便所にあるあの白いのと何かをまぜて火薬を作ったとかいうけど、とにかく臭くてね、あのまどは去年の夏から一度も開けてない。外から見ればトタンが腐って穴があいてきているから、よくわかるはずだよ」
 ボドボドボ…ボドビャ。トタンが鳴りやみ、しずくが街灯にキラキラと映えた。
「その馬鹿は、通りに向かって小便をするのか」と神。
「夜中だけだよ、通りと言ったってタクシーしか走らないような道だし、誰も馬鹿のことなんて見ちゃいない」おれはふと、尿意をおぼえて便所へ立った。このアパートには部屋が六つあり、便所が三つある、どれを使ってもいいことになっているが、一階ではなんとなく奥の二部屋にいる奴が奥の便所、手前の二部屋にいる奴が手前の便所、ということになっている。トイレットペーパーの補充も、そろそろかな、と思った頃合いで補充する。このアパートに住んで二年経つが、一度もかぶったことがない。
 二階には部屋が二つあり、便所が一つある。つまり、馬鹿には二分の一、便所を使う権利がある。だが去年の夏、引っ越してきた馬鹿の部屋から異臭がしはじめたところで大家が問い詰めると、馬鹿はこう言ったそうだ。
「ぼくは潔癖症なので、他人の使ったトイレに入れないんです」
 その夏は忙しく、おれはほとんど家に帰っていなかった。事情を知らず、数週間ぶりに帰った我が家を換気し、買ったばかりの雑誌と、寝るときにかけるためのシーツ、そしてお湯を入れたカップラーメンを台無しにするべく、おれは窓を全開にしてテレビをつけた。
 どのチャンネルをつけても笑い声が聞こえる。その頃のおれは余裕があったので、くだらないおしゃべりも雀のさえずりも平等に愛することができた。つまりビールを片手に雑誌を見ながらラーメンをすすりつつ見るには、テレビのバラエティがちょうどよかったということだ。通りを走るタクシーの排気ガスと、そのエアコンがもたらす金属的な蒸し暑さすら、極上のスパイスに思えたくらいだと言っても過言ではない
 激辛と書かれたラーメンから香ばしいラー油の匂いがただよった。目に見える煙のように、部屋の中に辛みの層が出来上がる。辛い食べ物にもいろいろあるが、おれはコンビニで買えるレベルの辛さが好きだった。量産品の辛味、ツンと舌を焼くが、さほど長続きはしない偽物の辛さ。これが本格的な四川料理などでは逆に興ざめする。カップ麺百五十五円、缶ビール二百四十五円、通り沿いの二階建てアパート月三万九千円。全てが安っぽくだらしない。コンビニで買ってきたばかりの冷えたビールを開ける。ペキシュ、と小さく泡が飛び、麦の香りがあたりに広がる、先刻広がった辛い煙の層に折り重なるようにビールの芳香がむわんと広がってボドボドボドボドボドドドドド。
 調子外れのリズムで、表のトタンが鳴っていた。大粒のしずくが窓から部屋に降り注ぎ、カップ麺と雑誌を濡らしている。雨が降ってきたのか、しかもかなりの土砂降りだ。テレビの音が大きくて気がつかなかったのかもしれない。おれは立ち上がり、ビールを持ったまま窓辺へ進み、一直線にトタン壁へ向かって落ちてくる水流と対峙した。
 これは、雨ではない。雨というものは一直線にどこかをめがけて降ってくるものではない。しかしまだおれは常識という鎖に手足を縛られていたので、その水流が何であるかを見極めることができなかった。ドボドボドボドボドボボボボボ、ドボッ、ドボッ、ドボドボドボドボドボ。飛沫は容赦なく雑誌にふりかかり、カップ麺のふたは内側にへこみ、豊潤な香りの失せた激辛キムチラーメンからはなまあたたかい湯気が立ち、これはもう小便以外の何物でもない。
 小便だ、ということにおれが気づいてから、それが出切るまで何秒あったのかは知らない。だが少なくとも自分の頭上から降ってくる水流が、誰かの垂れる小便であるという事実に遭遇する可能性のある者にアドバイスがあるとすれば、ひとつだけだ。
 それが何であれ、もし窓の外に一本の水流が勢いなくドボドボ垂れているときは、躊躇せずに何か長い棒などを持って上階に駆け上がり、ドアを蹴破ってその垂れ流している人物を殴り殺すか、もしくはすべてをあきらめて激辛キムチラーメンの小便カクテルを飲み干して寝てしまうべきだ。おれはそのどちらもできず、窓を閉め、畳を拭き、ラーメンのカップを持ってトイレへ入り、その中身を便器の中へと流し込んだ。
 もともと便器へと向かうべきものを、改めて運び、送り届けたのだ。そう、おれの行為は正しい。正しいが、正しさはときに空しく悲しい。あまりに想像を絶することに遭遇すると、ひとは無反応になるというのを何かで読んだ。あれは本当だ。水洗いしたカップと、床を拭いた新聞紙とティッシュペーパー、そして雑誌ををごみ袋に捨て、煙草に火をつけて一息つくと、自分でも驚くほどの大きな悲鳴が口から飛び出した。悲鳴といっても金切り声ではなく、口は「え」の形のまま、まるで警笛のようにずるずると音が流れ出た。それから翌朝まで眠れずに、不動産屋と大家が土下座をするエンディングで締めくくられる一本道シナリオのシミュレーションを続けた。
「それからずっと、じょぼじょぼじょぼじょぼ、毎日毎日小便は垂れ流されて、トタン壁はだんだんと腐っていく」
「それで?不動産屋は?大家は土下座したのか?」
「べつに。ただちょっと追い出せない事情があるらしくて、詫び金やら修繕費やらなにやらが出た。土下座ってそんなに食いつくとこ?」
「そのことを書けよ、素晴らしい叙事詩になる、さあ書きなさい書くのです」
 神様ってやつが、もしこの世界を作ったやつなんだとしたら、うん、それはたぶんそうなんだろうと思う。とにかくこいつは頭がおかしい。言っていることがほんの数時間で変わるし、だいたいにおいて何の役にもたたないところが腹立たしい。
「お前ね、二階から小便垂らしてる馬鹿の話が何でベストセラーになるんだよ、頭おかしいんじゃないの? ああ、頭がおかしいのはおれか」
「いいかい、良く聞けよ、私は何も小便小僧の話で一冊書けなんて言ってないんだ。ただ愉快なエピソードのひとつとして、この体験は非常に貴重なものであり、お前自身の自己を紹介するうえでもこのうえなく」
「小便小僧のどの辺が自己紹介なんだよ」とおれは神様をさえぎるために、言葉を口に出して言ってみた。ガサリと音をたてて、ごみ袋が動いた。去年の夏に比べて雑然としたおれの部屋には、捨て時を間違えて捨て損ねたごみ袋が天井まで積まれている。狂気は伝染する、およそ人間が滅びるのは二階から小便が垂れてくるのが最初で、そこから小便の中に黒い筋の虫が泳ぐようになる。どこまでいっても小便だ。それでも一握の正気らしきものがおれを支えているとすれば、この部屋には一切「生ごみ」の類がないということだった。何かを食べるとすぐにおれはそれを袋につめ、近所のコンビニへと急ぐ。おれの部屋にうずたかく積まれているのは、紙とビニールだけなのだ。
「とにかく、二階から小便で一万文字なんて書けないよ」
「三千文字か」
「一文字だって書きたくないね」
「一文字も」
 神様の声はますますしょんぼりと情けないものになった。
 おれは横になり、目を閉じた。神様と称するものが目の前に出て来るんじゃないかと思ったからだ。目の前はまっくらだった。次第にそこに赤とも緑ともつかない渦のような模様が出てきたが、これは瞼を閉じれば誰にでも見えるものであって、何かの神秘体験と言うほどのものじゃない。神様の声は聞こえないが、もうしばらくしたらまた馬鹿のひとつおぼえみたいに「自己啓発本を書いて儲けよう」と言ってくるのに決まっている。黙らせるにはしゃべり続けるしかない。絶対に一万文字なんて書くものか、おれはゆるやかに眠りにおちた、自慰をするのを忘れたことに気づくのは、翌朝のことだ。

つづく
http://d.hatena.ne.jp/./screammachine/20080314#p2