絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

-新約「巨人の星」花形-その革新的リメイク法。

巨人の星」のリメイクである。
 ピアノファイアのいずみの君にオススメされるまで、ちゃんと読んでいなかったんだが、「どんどんうまくなるんですよ!」の言葉通り、読めば読むほど面白くなっていくふしぎマンガ。
 タイトル通り、星のライバルである花形を主人公にして、物語は進んでいく。正直なはなし、何で花形なのか?という疑問は解決されなかった。語られるエピソードはリメイク独自のもので、たまに絡む原作寄りのエピソードがなければ、それがリメイクであることすら忘れるほどだった。
 そして、単行本7巻の発売に合わせて「星飛雄馬編」に突入、今週は伴宙太が登場した。これがまっこと面白い。時代に沿ったディフォルメと、アナクロな性格設定が絶妙に組み合わさり、心地良い音色を響かせる。名作だ、名リメイクの始まりだ、おれはいまスゴイモノヲメニシテイル……。
 ここに至って、まったく気づいていなかった、編集サイドの恐るべき計画に慄然とした。
 これは昨今の安易なリメイク企画を一蹴する、すんげえ企画だったのだな。
 どういうことか。

リメイクされるのが、こんなにうれしくない時代があっただろうか。

 名作がリメイクされるということは、そのあとしばらくはリメイクされない、ということである。それは、権利関係の問題かもしれないし、リメイク作品の出来が悪かった(収益が得られなかった)からかもしれない。
 何にせよ、あるコンテンツを利用するということは、文字通りそのコンテンツを「喰い潰す」ことになりかねない、危険なおこないなのだ。
 だから、名作と呼ばれるもののリメイクは、安定した評価のあるベテランに描かせる場合が多い。名もない新人に描かせて失敗したら、迷惑を被るのは一人にとどまらないからだ。
 しかし、名のあるベテランだとしても、そのリメイクを成功に導けるかどうかは、わからない。なぜなら、マンガの新連載というのは、車を作りながら走らせるようなものだからだ。編集者もマンガ家も、何よりも先に、読者の求めるものを作らなければならない。だから走っている最中にエンジンを取り替えることだってある。車なら大事故を起こすような危険なことを、連載マンガは常におこなっているのだ。

そして「巨人の星」だけが生き残った。

 もはやリアルタイムに思い入れのある読者のほとんどが現役の読者ではないだろうコンテンツに、企画担当者は最新の注意を払って取り組んだ。
 作画に新人を配したため、ベテランを配した時に陥りがちな「コントロール不能状態」にはならない。新人作家は編集者とともに、刻一刻と変化する状況に対応しながら、ハンドルを改造し、エンジンをパワーアップし、カウルを変形させた。ベテランなら苦痛を感じるその行為も、新人にとっては「成長」と同義だ。
 しかも、主人公は花形。どんなに派手なクラッシュを起こしても「巨人の星」というコンテンツには傷一つつかない。万が一にも「巨人の星」とだけ題されたリメイクが、駄作に終わったらどうすればいい? もう二度とリメイクは作られないかもしれない。「巨人の星」というタイトルは聞くも無惨なものに変ずるかもしれないのだ。だが「花形」は打ち切られることなく、成長した。
 こうして、読者のためにチューニングされた最高の車が、星飛雄馬と伴宙太を乗せてやってきたのである。
 なんと抜け目なく、なんと残酷で、そしてなんと美しい計画だろうか。おれたちはいま、スゴイモノヲメニシテイルノダ。