絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

私にはその資格がないのです。

クロカミショウネン『ノモレスワ。』観劇

 知人が出ている舞台を観に行った、非常に面白かった。
 内容は「明日の記憶」と「バタフライエフェクト」が空中衝突してきりもみ落下した感じ。
http://www.ks-18.com/next.html
 しかし、ギャザというシステムは面白いなあ。観客が増えるとチケット代が下がる、というしくみだ。『ワンナウツ』の人気投票ギャラ決定システム一緒に使ったら面白いことになりそうな気がする。

全然関係ないのだが。

 で、いろいろ考えるところもあり、自分から門を叩いた某劇団の出演を辞退した。クロカミショウネンとは何の関係もないので念のため。二晩考えた末の結論であり、後悔はしていないのだが、結果的に迷惑をかけてしまったことが申し訳ない。基本的に金と時間がないのが理由なのだが、つまりは金と時間を犠牲にする覚悟がつかなかったというわけで、そこでウソをつくよりは断った方がいいだろうという判断だった。
 ええい、何を書いても言い訳になるのだから、いろいろ書いてしまえ。
 自分でもここまで「話が通じない」ことへ拒否感があるとは思っていなかった。いやむしろ「話が通じない」のに「否定もされない」ことへの恐怖か。
 私は「表現すること」は必ず「衝突すること」だと思う。どんなに癒し系の何も起こらない舞台だって、その舞台をつまらないと思った観客とは何かの衝突がそこで起こっているはずだ。その時に、衝突した相手を……
 いや、やっぱり、私が間違っていた。「受け入れる」ことを選んだ人間に「拒否すること」を求めてどうする。何の言い訳もきかない。私はオーディションに出るべきではなかったし、一度はうなずいたのだから全て投げ出すべきだったのだ。ああ、またやってしまった。いやいや!けっして「金がないならチケットノルマなくてもいいから」と言われたかった、というわけではないのである。本当である。

取り返しはつかぬ、やり直しもきかぬ。

明日の記憶」と「バタフライエフェクト」という要約で『ノモレスワ。』の、おおかたのあらすじは予想がつくと思うが、そのとおりである。だがもちろん退屈はしない、演出の力は、ねじ切れる寸前まで役者の力を搾り出してると思えた。たとえシナリオ上での結末がちょっと納得できないものだったとしても(私ならこうする式の何の役にも立たない感想なので、書かない)、私は本当に満足したし、惜しみない拍手を贈ることができた。
 辞退した劇団の舞台に、辞退せずに立つことになった私は、どんな芝居をしただろうか。辞退しなかった私は、どんな演出を受けただろうか。辞退しなかった私は……どんな姿を、君に見せただろうか。だけどそんな私はもうどこにもいない。私は辞退して、幕は閉じたのだ。