絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

ヘンリー・ダーガーと、たいへんなひとびと

ヘンリー・ダーガー展』を見に行った。7月16日までやってる、原美術館
ヘンリー ダーガー 少女たちの戦いの物語ー夢の楽園
 で、一緒にいった友人と、ダーガーはたいへんだったねえ、という話をした。
 80才になって、施設で死んで、それからダーガーの絵は評価された。ダーガーは夜中に誰かといつも言い争いをしていたと、大家さんが証言していた、女っぽく喋るダーガーの声と、ダーガー本人の怒鳴り声。働いていた病院の看護婦の真似、と書いてあったけど、私は「死んだ妹さんではないのかな」と思った。大家さんが言うには、ダーガーは生活が苦しいので施設に入るといって家を出て行き、死ぬときは、施設の中で、すっかりくたびれて、黙り込んでいたそうだ。
 私が「若い頃に誰か気づいていたら、そんな寂しい死に方をすることもなかったのかな」というと、友人は「ダーガーの若い頃には、こんな素晴らしい絵は、ちっとも評価されなかっただろうね」と言った。そもそも彼は、評価されることなど望んではいなかった。
 違うんだ、私はただ、絵が売れたら、もう少し楽に生きられたんじゃないか、って思ったんだよ。
 コラージュとトレース、誰とも知れない娘たちに、名前と設定がついている。
「萌えだねえ」
「萌えの原型だ」 
 友人は言った。
「きっとダーガーはたいへんだったんだよ、書かなきゃ、残さなきゃ、って、たいへんだったんだ」
 別の日、ファミリーレストランで原稿を書いていると、隣の席にスェットの上下を小粋に着こなした茶色い髪の女が二人座り、おしゃべりを始めた。内容は男の話から携帯電話の話、そしてアルバイトの話へ。

A「バイトしないと」
 B「だりーし、朝起きれないし」
A「朝何時くらいに起きてんの?」
 B「朝起きたときに時計とか見ねーし!起きて、ボーッとして、気がついたら昼?みたいな?」
A「キャバとかどう?あー、早く18になりてー」(17才だったのかよ!と驚く私)
 B「でも話あわせるのダルくね?ひとと話すのとか無理、それに酒飲めないし」
A「え?呑んでたじゃん、前」
 B「若いときはさー、無理して呑むじゃん、吐いてでも呑むじゃん、でもなんかもう無理」
A「アハハ笑えるー」
 B「それにさー、うまく通じないとムカつくしさー、なんか話してるうちに自分でも…」
A「え?何の話?」
 B「だからぁ!あー……彼と話しててもさー、お前何言ってるんだかわかんねーとかよく言われんだけどー……ひとと話すの面倒じゃん、思ってることとかうまく通じないし」
A「あーわかるわかる」
 B「それにさー、うまく通じてないのが自分でもわかるからー、なんか泣けてくるんだよねー」
A「へー…」
 B「でー、うまく通じてないって思って感情盛り上がっちゃってる自分にまた腹が立ってさー、それがイラッとするんだよねー」
A「ふーん、たいへんだねー、よくわかんないけど
 B「あたしもよくわかんない、ニワトリだから、アハハ」
A「アハハ…?」

 私は、自分が何者かがわかってしまうことを、幸福なことだと知っている。自分の立ち位置、方向性、能力の限界、そして下限。それらを知っていることで、安全で平穏な日々を送れるということを知っている。そして、知っているだけでは、それを実行するのが難しいということも知っている。
メッセージを伝えるために必要な三つの方法
・キャッチコピーをつける
・箇条書きにする
・三つにまとめる

 それがどうした、本当に伝えたいことの十分の一にもなりはしないよ。
 たいへんなんだ、追いつめられてるんだ、その能力をどこに活かせばいい?
 Bはバカじゃない。会話には道筋があり、単語の選択も正確で、テーマもメッセージも明瞭だ。ただ惜しむべきは、彼女の言葉を理解できる者が、彼女のまわりにはいないということだ。しかし、彼女が、自分が何者であるかを知ることは、果たして彼女を幸福にするのだろうか?
 やがて二人は帰っていった、私は原稿に意識を集中した。