絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

科学を信じない私のために。

2183年 党集会議事録より翻訳(原文において損なわれた部分は意訳とした)

 Aが壇上に立ったとき、聴衆は既に興奮状態にあった。Aは一拍おいて話し始めた。
「あなたたちは、エンゲキというものをご存知でしょうか? 21世紀まではその効用も信じられていましたが、いまはもう、ほとんど廃れてしまった、エイガやショウセツといったオカルトと同じ、ゲイジュツと呼ばれた迷信の一種です」
 会場中に罵声が飛んだ(訳注:この罵声はゲイジュツを非難するものであり、Aを指したものではない。党はゲイジュツを非難するための罵声語を多く発明したが、そのほとんどは翻訳不可能である)。
「ゲイジュツについては、多くを語る必要もないでしょう。それらは、現実にあるものを模倣し、曲解し、誇張した、時間を無意味に過ごさせる、サケやタバコのような薬物と同じ、中毒性の高いものでした。ただし、エイガやショウセツなどの媒体ゲイジュツと違い、エンゲキのおぞましいところは、その大部分が記録不可能であるということです。それにより、伝染力は低いものの、体験としての衝撃度は高く、急性中毒におちいる例も多く見られたといいます。また、その儀式に参加し、共感した者がその記憶を記録してくれなければ、現在に生きる私たちはエンゲキの断片すら知ることができないのが、現状です」
 ここで、聴衆に変化が見られる。Aがエンゲキに同情的であることに気づく者がいたのだ。
「また、エイガやショウセツが技術の進歩と共に発達し、人類の歴史上有用な意義を果たしたのに比べ、エンゲキは現在の私たちにつながる歴史的意義を持たない。その無意義性が、エンゲキに対する信心を高め、狂信者を生んだと言われています」
 聴衆は二派に別れ、互いを罵倒しあった。エイガやショウセツを党の媒体に利用しようという派閥と、あらゆるゲイジュツは破棄されるべきだとする派である。Aはかまわず続けた。
「ここで、私はおそろしい告白をしなければなりません。実は、私は、実際に自分で、エンゲキをやってみたのです。しかも、ドクシャ(訳注:ショウセツを利用する中毒者)やシチョウシャ(訳注:エイゾウ全般の中毒者。ほんらいエイガはエイシャされたもので、エンゲキに近いものだったらしいが、エイシャという言葉の意味はまだ研究途上にあり、ここではシチョウシャという言葉を使う)ではない。儀式の進行役となる、ヤクシャ、キャクホンカ、エンシュツカなどを体験しました」
 水を打ったように会場は静まり返った。
「……その題材は、シュウキョウと呼ばれるものです。これについては前回の研究発表で詳しく述べました、簡単に言えば……カミを題材にした、科学の介在しない物語であります。もちろん私は! 科学の存在を身近に感じているし、党の教義に反発する気持ちなどはまったくないっ!……しかし、舞台の上で有神論者を演じるとき、私は確かに古代の人間に対してカミが与えたであろう畏敬の念をおぼえるのです。それは、我々が科学に対しておぼえるものに近いものだったのではないか、そう考えるのです」
 騒然とする聴衆の中にいた一人の若者が、手を挙げて立ち上がり、問いかけた。赤い党服に、カーキ色の半ズボン、帽子にはフィンチの羽根が刺してある。子供と言ってよいほどの年齢であった。
「A同志!質問があります。あなたはカミを信じるのですか?人類を守るために党が排除した迷信を、信じるのですか?」
 Aはかぶりを振った。
「確かに、エンゲキの最中はそのような気持ちになることもあります、しかしそれは一過性のものであり、科学を否定するものではありません。繰り返しますが、私は科学を、そして党の精神を批判したいわけではないのです、しかし、歴史の中でその記録が消されたゲイジュツやシュウキョウに関しては、まだ研究の余地があると考えるのです」
「では、もう一度質問します、あなたはカミを信じたことがあるのですね?」
「ですから、厳密に言えば、エンゲキの最中に信じることの快感をおぼえたことはありますが…」
「お聞きになられましたか!皆さん!彼はカミを信じたことがある!」
 聴衆はこの露骨な誘導に拍手した。壇上に立ったAは苦虫を噛み潰したような顔で黙った。
「しかし、そのような危険思想に多く触れることは、思想の伝染を生むのではありませんか」
 若者は、聴衆に訴えはじめた。
「ご存知のように、シュウキョウのシンジャは、魂の実在を信じているから、人を殺しても平気なのです」
「それは違う!有神論と殺人の正当化は因果関係がない……それは、無神論者は魂の実在を信じていないから人を殺せると言うのと同じくらい無意味だ!」
 Aの反論を待たず、若者は続けた。
「しかしながら、歴史上、戦争を開始したのは、いつでも有神論者です。暴力による搾取や、犯罪なども、全てカミが許しているという決め付けから起こったのです。我々はこのような危険思想を許してはならない! 平和な世界を維持するために、ゲイジュツなどといった退廃的なものからは一定の距離を置かなければならない!我々が信じてよいのは科学だけ、党の精神だけです!」
 同意の叫びが会場を包んだ。Aは書類をまとめ、壇上から引き上げようとした。
 そこで、若者は銃を取り出し、Aを撃った。Aは驚いた顔のまま、壇上に倒れた。若者はふところから手帳を取り出し、銃声に驚いてうつぶせになった聴衆に見せ付けた。聴衆は顔をあげ、安堵の溜息をもらした。
「私は少年部の執行委員です、ご安心下さい、これは麻酔銃です。少年部ではAの動向を調査し、その思想の偏向を発見しました。これから彼は本部に連行され、再教育を受けます、ご安心下さい!」
 少年部の執行委員たちが会場に駆け込み、壇上に倒れたAを運ぼうとした。すると、Aはろれつのまわらない声で、叫んだ。
「お前たちは、騙されている!党のやっていることは科学なんかじゃない!シュウキョウと同じだ!ドーキンスの言葉を曲解し、誇張し、歪めているのは…」
 立ち上がった若者が壇上にあがり、銃の台尻でAを小突くと、聴衆から笑いが漏れた。
「みなさん、ご安心下さい、党の精神はゆるぎなく、我々は進化の頂点に立っているのです」
 若者が右手を高く挙げると、聴衆は立ち上がり、それに習った。
「ハイル・ダーウィン!」
「ハイル・ダーウィン!」
「歪んだ知識と、誤った歴史は、淘汰されなければならない!我々は利己的遺伝子の乗り物なのだ!」
 若者が叫ぶと、聴衆はさらに猛り狂った。その様子を見たAは、連行されながらこうつぶやいた。
「まるで、エンゲキじゃないか、こんなものは、科学とは何の関係もない」
(訳注:その顔が笑っていたかどうかは、記録にない)