絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

視線誘導、圧縮と開放。マンガ論おさらい編その1。

 知人に夏目房之介さんの『マンガはなぜ面白いのか』を読ませたところ、もっとも腑に落ちたところが「コマの圧縮と開放」であったという(第十章、文庫版P139から)。「今まで読んでいて気持ちの良いコマ割りと、そうでないコマ割りには、こんな違いがあったのかと気づかされたのだ」と。その興奮具合が面白かったので、手近にあるマンガの中から「圧縮と開放」を読み取ってもらった。
例:福島聡機動旅団八福神』2巻P59_P60
図1
麻草「開放感あるねえ(図1)」
知人「しかもこれ、メクリなんだよ。ページをめくると北極の真っ白な空、そしてセリフ『北極は寒い』」
麻草「ミもフタもない。直前のコマで砕氷船を左斜め上に進ませてるのもポイント高いね」
知人「効果音や、セリフ、そして描いてあるものを辿るだけで、視線の誘導も計算されつくしてるんだってことがわかる(図2)」
同トレース図上、視線誘導ライン
図2
麻草「これはおじいちゃんが孫の制止を振り切って、北極に行く、っていうシーンなんだよね」
知人「小さい圧縮と開放のくり返しから、大きな開放に向かう流れなの。空港に行ったら帯刀をとがめられて(圧縮)、次のコマで移動(開放)、寒い国で何かを密買して(圧縮)、砕氷船で北極へ(開放)、で、ページをめくると大開放。更にその次のコマから圧縮しつつ、おじいちゃんの顔を見せないことで、次のページへの期待を持たせるわけですよ」
麻草「キャラクターが後ろや下方を向くことで、注目すべき物(拳銃)が際立つね」
知人「しかも、全部のコマの右側が断ち切りで、左に向かって圧縮されてんだ。おじいちゃんの演技と、コマの流れがちゃんと組み合ってる。最初に読んだときは何度も見返したもの、もちろん読み返したりもしたけど、それよりむしろ…見返した」
麻草「面白そうなマンガって、さっと見ただけで面白そうだもんな」
知人「そう、それ。面白いって評判のマンガを連載の途中から読むとさ、そのキャラクター何者なのか知らなくても面白いことってない? あれってもしかしたら、おれたちはコマとコマの関係性を読んでるんじゃないかな」
麻草「コマとコマの関係性?」
知人「たとえば、大きな開放されたコマがあって、その下に圧縮された平べったいコマがあったとする、もし大きなコマに笑ってる男の顔があって、下のコマに苦しんでる男の顔があったら? おそらく誰もがそこからキャラクター同士に関わる何らかの関係性を読み取るんだけども、それってつまりコマとコマの間にある力関係を読み取ってるんだよね」
麻草「うーん、映画のモンタージュみたいなものかな」
知人「それよりもっと、原始的なものかもしれない。コマの枠ってのは、あっちの世界(マンガ)とこっちの世界(読者)を隔てる壁に開いた穴で、その穴の開き方ひとつで、見ているこっちの感覚が変わる感じ」
麻草「ヴォネガットにそういうのあったね、線路を前に進むことしかできない、小さなのぞき穴のある鉄の棺、それすなわち人間の生なり、みたいなの」
知人「その棺に穴をあけるのが、マンガなのではないだろうか?!」
麻草「でっかく出たね」
知人「夏目先生はすごいよ、興奮する。でもこの項が『更なる研究を要する』で終わってるのが残念だな」
麻草「この本で扱ってるのは総論だからね、それに初出は九十六年だから、たぶんもっと研究は進んでるはずだよ」
知人「そうか!じゃあ他の本も貸して!」
麻草「……買えよ、貸すけどさ」
 というわけで、知人の興奮を受けて、改めて「圧縮と開放」について確認してみたのだった。もし、ヒマがあれば、お気に入りのマンガをコピーして、視線誘導を確認してみるのも面白いかもしれない。
 この「マンガ論おさらい編」では、今までに書かれた「表現論」について、実際にその手法を使って分析することで、いったいマンガに何が起こっているのかを確かめていこうと思う。このひとのマンガ論を確認してみやがれ!というリクエストがあれば、ぜひともお願いしたい。マンガ進化論などと言って、少し先走った感もある私の、足場確認である。

機動旅団八福神 (2巻) (Beam comix)

機動旅団八福神 (2巻) (Beam comix)