絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

ごちゃまぜにしてる子はいねがー。

ティーン向け願望充足マンガと子供向け願望充足マンガをごっちゃにして考察してる子はいねがー。
(つづく)
(つづき)

たまたま最近『ワンピース』もまとめ読みしたんだけど、『NANA』とくらべると、男子がどんどん観念的になってクソボンヤリしてる間に、女子はどんどん身体的かつ現実的になってるのネーなんてしみじみしちゃうわ。昔はそれ、逆だった気がするんだけど。
http://d.hatena.ne.jp/mellowmymind/20070223/1172188894

 いや、比べる先が違う。『ジャンプ』と『Cookie』じゃ客層が違いすぎる。
 あらすじを並べてみましょうか。

きらりん☆レボリューション-Wikipedia
月島きらりは14歳の中2。大食いで明るい(?)な性格の持ち主。ある日のこと、きらりは町中で人気アイドルグループSHIPS日渡星司と出会い一目惚れをする。SHIPSのコンサートに乱入したきらりはステージ上でアイドルになることを宣言する。それから、きらりのアイドル生活が始まった…。
少女漫画誌『ちゃお』(小学館)で2004年3月号より掲載。

ONE PIECE
モンキー・D・ルフィは、大食いで明るい(?)な性格の持ち主。ある日のこと、ルフィは海で有名な海賊赤ひげのシャンクスに助けられ、海賊に憬れる。ゴムゴムの実を食べたルフィは海賊狩りのゾロと出会い海賊王になることを宣言する。それから、ルフィの海賊生活が始まった…。
少年漫画誌『ジャンプ』(集英社)で1997年より掲載。

 まあコピペなのは偏向の意図がアリアリですけれども。それにしたって比べるべきは「きら☆レボ」でしょう。そして比べてみれば、どちらもガキ向けの願望充足マンガであることに違いはない。というか、ガキが「クソボンヤリ」してんのは男も女も関係ねーですよ。

三年違えばもう昔。

 確かにきらりん☆レボリューションの次回予告が「きらりが妊娠?!夢を叶えるために星司が選んだ道は……!」だったら身体的で現実的だと思いますけどね、ほら、書いてみたらよくわかる。強度とは別の問題ですよ、それは。
 体感時間、というものがあります。過去の記憶が蓄積されて、感じる時間の早さが変わる、というものです。中学生はすぐ「昔は」といいます、聞くと三年前のことだったりする。高校生になるとそれが「五年ひと昔」になる。三十を越えれば二十才の頃のことなどついさっきあったことのようです。
 印象ではなく、実質的な売り上げの話をしているのです。中学生や高校生は小学生の喜ぶものなど読みません、大人は大人向けのものも子供向けのものも、同じように楽しむことができます。対象年齢が中学生か高校生か大人か、それだけで送り手側の意識は違うはずです。
 ちなみにNANAのあらすじはこんな感じ。

NANA
東京に住む彼氏と同居するため上京する小松奈々、ミュージシャンとして成功するため上京する大崎ナナ、二人のNANAは新幹線の中で出会った。その後、ひょんなことから奈々とナナは同居することとなる。さらに、ナナの所属するBLACK STONESとナナの恋人、本城蓮が所属するTRAPNEST、二つのバンドのメンバーたちを交え物語は進んでいく。
少女漫画誌Cookie』(集英社)で1999年より掲載。

 高校生向けの雑誌で人間関係を描くマンガが、小中学生向けの雑誌で戦いを描くワンピースに比べて痛みを重視して、カタルシスをもったいぶるのは、当たり前のことです。そして、それは、どちらが優れているとか、強いといった問題ではない。
 一方でこんな考察もしているのだから、その矛盾には気づけるはずです。

なぜ「ねえ ナナ あたし達の出会いを覚えてる?」というように回想形式であの物語が語られてるのか。今の子たちのしんどさを理解して主観的に描きつつ、つまり若い子たちの真実を否定はしないけれど、未来の自分が振り返るという形で客観的な視点も示している、つまり、そこから抜けだせる可能性を示唆しているわけですね。
http://d.hatena.ne.jp/mellowmymind/20070225/p2

 たとえば、ある基準をもとにして、一方ではその価値を低く見積もり、一方では高く見積もれるのだとしたら、それは価値基準として機能していないことになります。
 つまり、そこには絶対的な動かしがたい価値の差があり、計測するための「基準」は単に後付けされたものに過ぎないということです。
 作品の価値を、あたかも学問的であるかのように装って並列に測る行為は、あまり褒められたものではないでしょう。

結論・マンガの価値とは何か?

 強い、弱い、厚い、薄っぺらい……作家は果たして無自覚にそれを描いているのでしょうか?漫画家は孤高の芸術家ではありません。売れっ子であれば、それは、多くの人間を雇う事業主のようなものです。そこには作家の意図より先に、読者のニーズが存在します。
 そうして作られた作品には、それぞれのマーケットに即した批評言語が必要とされるはずです。音楽が細分化していったように、マンガも既に多くのジャンルへ細分化しています。
 ああ、でも、今のマンガ読みって、江戸時代の本草学者に近いものなのかもしれません。狭い国に閉じ込められたまま、伝え聞く世界の広さを、自分の目で全て見てやろうと思えるロマンチシズム。宇宙はどうなっているのか?須弥山はあるのか?
 だから私は、疑似科学に陥らないでください、とだけ言いたいのです。

追記

 わかりにくかったようなので、少し追記します。乱文です、間違いはご指摘下さい。

あと、個人的に『ワンピ』の苦手なところってわたしの中では子供向けだから、というのとは別の部分なんですよね。なんつーかなー、世界の捉え方というか……んー、それこそ、信じるだけで何とかなっちゃう具合っていうのがイヤだなーって(子供向けならなおさらよろしくない気がする……)。
http://d.hatena.ne.jp/mellowmymind/20070226/p1

 ここに、小説すばる2月号があります。その中の対談にある、平山夢明さんの発言が、私はとても興味深い。

平山 俺にしても徹ちゃんにしても、ガキの頃、日々暮らしてる状況が面白くないわけじゃない?楽しくもないし、幸せでも何でもないしさ。
福澤 家に帰れば、ちゃぶ台に頭打ちつけられて殴られてるし(笑)。
平山 いつの間にか家がガス臭くなってジュウシマツは死んでるし(笑)。そんな環境にいる子って、どうするかといったら、やっぱり、普通のお話ではどうにもならないんだよね。靴が合わないというかさ。そういう靴を売ってるのはわかるけど、俺には履けねえな、みたいな。それで、悲惨というか、強烈な話のほうにいくと思うんだよね。
東 ちゃぶ台ガンガン打ちつけを吹き飛ばすぐらいの強烈な話ですか?
平山 そうそう、痛いよ痛いよ、顔が腫れちゃって痛いよー、っていうのを忘れられるようになるためには、何か美しく空を飛ぶ鳥の話とかよりも、汚いダチョウみたいなのがますますボロボロになっていくような話のほうが、これが現実だよな、これで俺も納得できるぜ、みたいなところはあったよね。
小説すばる2月号 『悪書はきっとキミたちの力になってくれる!』鼎談より。

 おそらく、世界の捉え方、見たいもの、充足したい願望(現実には叶えられないもの)は、ひとの数だけ存在します(みんなの願いが叶って幸せになるとか、みんなが無意味に死んでいくとか)。そこで、最大公約数的に、求められているものを作るのが、大衆芸術の担い手の仕事です。
 ではなぜ『NANA』には「規範とすべき道徳観念『現実に対して有効』な『したたかで、タフ』な強さ(二重括弧内引用)」が描かれ『ワンピース』には「信じれば夢は叶う信じるだけで何とかなっちゃう具合」という理想が描かれるのか(これについてはまったく正反対の解釈が成り立つのですが、まあそれは別の話、今はmellowmymind/さんの解釈を基礎に考えましょう)。

じゃ『NANA』に対応するマンガって何よ。

ツッコミでは『ワンピ』に対して、子供向けということで『きらりん☆レボリューション』*1を挙げてくれましたが、逆に『NANA』に対応する感じでよく売れてて、その世代の男子が読んでるマンガってなんですかね。どっちかというと、そっちの方が知りたいな、と。ティーンの女子が『NANA』で現実的な問題と向き合ってる間に、同年代の男子は何を読んでるんですかねえ。『ワンピ』じゃないのかな。

 ブクマのコメント欄にあった「『ベルセルク』あたり?」というのは近似値で、同じ雑誌(ヤングアニマル)に載っている『ホーリーランド』はかなり近い線にあるのではないかと思います。そもそもマンガの売り上げが世代と性別によってズレるのは当たり前なので、全体のマスからすると「実写ドラマ化された」あたりで手を打ってほしいものですが……。
 この作品には道徳があり、痛みがあり、そして現実的な問題(ひきこもり、いじめ、友達関係、暴力。夜の街)を描いています。ここには安易な問題の解決はありません、暴力は次の暴力を生みます。
 もうぶっちゃけて書いちゃいますけど『スラムダンク』や『ジョジョ』を連載していた頃のジャンプと、今のジャンプでは、客層が違います。作者は二人とも掲載誌を移したけれど、描いていることの根本も、その描線も、うまくはなれど、何も変わっていません。
 つまり、今のジャンプは、読者の多くが、濃い描線で描かれたむくつけき男たちが戦う話を求めていない。
 線の細い美少年が、美しく血を流しながら戦う話が求められているのです。
デスノ』『ワンピ』『ブリーチ』『ナルト』『銀魂』『アイシールド』『ディー・グレイマン
 もうおわかりですね。『ワンピース』がなぜ「信じるだけで何とかなっちゃう具合」で描かれているのか。
 問題は世代ではないのです。
 ジャンプのメイン読者層は、10代の男と……10代から20代にかけての、女なのです。『ちゃお』を対応させたのは、そのためです。20代になったからといって、誰もが、セックス、妊娠、現実の問題を喜んで読むわけではない。生き延びるために「ダチョウが汚らしくなる話」を求める者がいれば、その反対で「空を鳥が飛ぶ話」を求めるひとがいる。

全てのマンガは面白がらせようと作られている。

 私はこのことを書きたくなかった、だからはじめに「子供が求めている」という解釈を提示しました。しかしそれでは納得してもらえなかった。この話は安易に書けば「だから女は……」といった話になってしまう。それではまったく意味がありません。
 現実に対応する「強さ」は、そのひとが接している現実の数だけ存在します。
 そして、その強さ(あるいは弱さ)を指摘して、違うジャンルの作品の価値を量ることが、疑似科学を信じるのと同じ、結論が先にある行為だと、私は思うのです。
 私は『NANA』をまったく現実と向き合っていない、読者を肯定することを第一にとったユルい願望充足マンガだと思います。けれども、そのことによって作品の価値が減じるとは思いません。いまも面白く読んでおります。
 全てのマンガは基本的に面白い、なぜか?
 私は、そのことを「マンガ読み」と呼ばれる大人が全員理解できれば良いと思っています。
 なんにせよ、絡んですみませんでした。