絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

『書きたがる脳』を読んだよ。

 私はよく「これはいい寝言ポエムだ」と言う。この場合の「寝言ポエム」はいわゆる一般に伝わっているものとは様子が違う。ふつうに言う「寝言ポエム」はポエムの態を成していないものを指すらしい。私はそれを随分優しい言い方だと思う。
「寝言ほざいてないでちゃんと仕事しろ」と言うとき、上司は部下をクビにしたいと思っているだろうか? 心の底では早くクビにしたいと願っているかもしれない、しかし、少なくともその言葉を発したときには、働いてほしいと願っているはずだ。誰かの主張に対してかけられる「寝言」という言葉は、このように「起きている状態なら可能である」という前提のもとに発せられている。
 ポエムの態を成していないもの、それはどう転がしてもポエムには成り得ない。寝言と合わせてポエムが嘲笑の対象であるという視点は、この際、忘れてほしい。
 寝言とは、半覚醒状態で発せられる、意味のある言葉だ。
 人間は起きているときに意識を連続させなければならない。その状態で発せられた言葉には一連のつながりがある。だが、眠っているとき、意識は断続的になる。起きているときに意識を断続させるのは難しい、しかし、そのような意識で書かれた文章は、地すべりを起こし、断絶され、狂乱しながら静謐さを保つ。私は五年前に交通事故で頭蓋骨を損傷して、極端な意識の断絶を経験した。それから五年間、何度も何度も、意識の断続について、恐怖と享楽の間を行き来する感情のうねりを体験した。今、こうして連続していると私が思っている私の意識と、頭蓋骨が割れたときに停止した私の意識の間にはどんなつながりがあるのだろうか?
 はっきりと書こう、すべてのポエムは寝言なのだ。いや、すべからくポエムは寝言でなければならない。寝言ではないポエムなど、出来の悪い宣伝文句に過ぎない。
『書きたがる脳』は優れた寝言ポエムだ。
 著者の意識は断続的で、入り込めば入り込むほど拒絶される感覚も強くなった。茂木健一郎の解説部分は未だに読む気がしない、私の解釈以外に何が必要だろう? 文体も思考法もすっかりフラハティモードだ。赤い表紙は持ち歩いたせいで擦り切れている。

書きたがる脳 言語と創造性の科学

書きたがる脳 言語と創造性の科学