絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

絶叫機械+絶望中止2006年注目の記事。

要約:普段やらないことをやってみようのコーナー。
 というわけで、2006年の記事から気に入ってるものをピックアップしてみました。位はブクマ数。
10位

自分の職業は俳優だ、と言うことは誰にでもできる。彼は俳優として食っていきたかった、俳優以外の仕事はしたくなかった、それは、叶わぬ夢と消えた。
2006-08-01 9年は長いか短いか。

 実話です。いきなりコメントのしようがないな、ええと、うん。
9位

中学二年の秋、美術部の友人が死にかけの老猫を拾った。
2006-11-21老猫殺し。

コメントしづらいのが続くな。これはフィクションです。私は眠るときに毛布でいい形を作ってその中にはまるんですが、昔知人に「犬のようだ」と言われたことがあります。子猫で日記内検索すると関連エントリが見つかりますたぶん。
8位

(血しぶきドバーン!首ズバーン!すげー!わー!死ぬー!みたいな映画はバンバン作られるといい)
2006-08-31 小さなウソほどむずかしい。

映画『太陽』について、というか戦争を題材にしたフィクションについて。
7位

こんなことなら仕事について書いておけばよかった、毎日食ったもの書くだけでよかった、空がきれいだとか、近所のネコが可愛いとか、テレビ面白いとか、そういうことを書いていれば「書くことが浮かばない」なんてことはなかった!
2006-11-07書くことがなくなったときには。

下の「フィクション/書くことがなくなったときには。」と合わせてどうぞ。こんなこと書いておいてすっかり書けなくなってんだから。まあ二度使える手でもないですけど。
6位

映画は娯楽であるべきだ。しかし、政治的テーマを扱った映画の場合は、そのテーマを含めた思想そのものが娯楽の対象である。よって、含まれる「政治的テーマ」もしくは「思想的テーマ」を楽しめないならば、それは映画を楽しんだことにはならない。
「エンタテインメント」は免罪符ではない。

ホテル・ルワンダ関連。カレーの例えが好きすぎる件について。
5位

つまりこの場合は立体としての構造の破綻は、ある場面において確実に起こっています。でもそれでいいんじゃないですか。なぜなら同じ画面上で物体の移動を表現するためには、意図的にデッサンを狂わせる必要があるからです。
デッサンてなあ便利な言葉のように見えましてね。

タイトルについてnobodyさんから「言い回しが細野不二彦っぽい」と指摘されて、おお!と。確かに悪い奴を懲らしめるときの説明シーンで言ってそうなせりふ。
4位

 正しいってなんだろう? 辞書によれば「まっすぐで歪んでいない」「事実に合っている」「道徳、法律、作法などにかなっている」と書いてある。
 この三つは、全部違うことをしめしている。
いま、小学校へ通っているぼくへ。

 「絶叫機械」というのは何がやりたいのか、ブログなのか日記なのかわからない、とか、方向性が定まっていないとか、よく言われるんだけど、まあ確かに絵も描く造形もする映像まで撮っちゃうし映画の感想も本の感想も書くうえにフィクションってカテゴリがあって同じように日記を書いている。確かにこれでは何だかわからない。でも実はテーマがあって、それがサブタイトル。絶望を中止。たぶん死ぬまで私は正しくないし、報いも受けるだろうけど、絶望だけはしてやらないぞ。
3位

フキダシとフキダシの間を移動するのと同時に、顔の向き、表情の変化、そして明暗、全てが表現されています。
マンガの絵がうまいとは、どういうことか。

 いや、いつも酒の席で話しながら「ああ!今ここに図版があれば!」と思っていたので、このエントリは私のために書いた部分が大きかったのですけれども、多くのひとに読んでもらえたみたいで光栄です。ええと、上記の意味で絵のうまい漫画で、今私が注目しているのはジャンプで連載が始まった武井宏之重機人間ユンボル』です。
 ホッテントリ入りした奴をさかのぼって決めてたら、2位と1位が余ってしまいました。何だろう、あ、きっとアレですね、ほら、大切なものはみんなの心の中にあるんだよ、とか、そういう奴。
 まとまりなくてすみません、うまれて初めて年末らしい企画で記事を書いた気がします。