絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

理由のいらない病

 帰ってきてすぐに読んだ記事に1時間も使った! ぎゃあ! ばか! というわけで、映画の興奮冷めやらぬままの私を許したまえ。
『トゥモローワールド』観てきました。
 すごい!すごい!この映画すごい! 映画に合わせて出た原作本を事前に読んで、あとがきで監督の「映画は原作とはまったく関係ないから、おれ読んでないし」というコメントを見て「どうだろう?」と不安にも思っていたんだけど、いや、監督、お前原作しっかり読みこんだ上でファックしてるだろう! と思うほかなかった。とにかく一番驚いたのは原作を読んだときに浮かんだ風景が、そのまま画面に出てくるということ。そして、原作をはるかに凌駕する映像的衝撃、ああ! これだ! 落ち着けバカ
 ただひとつ、私は映画を観ながら、ひとつの問題点に気づいていた。
 この映画、観客の脳内データベースに頼りすぎではないですかね。
 ええ、確かに私はボロボロ泣いた。流れる曲、出てくる風景、全てが映画を素晴らしく彩っていた。だけど、それらに何の思い入れもないひとには、この映画、ここまで「わかる!セオ!わかるぞ!」と響きますかね? 何かいやらしい「わかっていますよね」というくすぐりに堕してはいなかっただろうか?
 そう思うと、私はこの映画を本当に見るべきひとに、届きにくい作品になってしまったのではないかと、少しだけ悲しくなったのであった。
 私の前列で見ていた男は、スタッフロールが出た瞬間席を立った。その隣に座っていた男の恋人らしき女は、男が手を引くまで座席に座っていた。二人が、せめて歌詞の出ている曲が終わるまで、立たないで観ていてくれたらよかったのに。
 

人類の子供たち (ハヤカワ・ミステリ文庫)

人類の子供たち (ハヤカワ・ミステリ文庫)