絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

漫才は、わりとその漫才だけで解釈できると思う。

坂本龍一の「ジャージが不愉快」「一人でご飯を食べている人も不愉快」という発言に対して、ブログを辿ってみたら「そんな人だとは思わなかった」という意味のコメントが載っていて驚いた。ぼくは特に坂本龍一が好きでも嫌いでもないけれど、彼は常に「そんな人」だったと思う。
坂本龍一は、昔も今もあんな感じだと思う(ココロ社)

 私も、糸井重里坂本龍一を好きでも嫌いでもない。だから言いたいことはわかる。だけど、これじゃあ「お前ら昔の教授を知らないの?m9(^Д^)プギャー!!」にしかならないんじゃないの、という疑問を持つ私だ。
 たとえば話題になったジャージの文章を読んでみよう。

坂本
他人に対する、何ていうのかな。
境がわかってないっていうか。
それに近いものを感じる。
http://www.1101.com/kyoju/03.html

 なるほど、ジャージはむきだしだと。これではジャージでコンビニに行くひとは怒るかもしれない。では、こうやって「ジャージでコンビニ=生活の露出」と批判したこのわずか数ページあとにある、このやり取りはどうだ。(改行筆者)

坂本
(前略)
ある日、何かやってて、一緒にタクシー乗ってて、赤信号で止まった時に、僕がね、勝手に飛び出してって、そこにある牛丼を食べに行って。
牛丼屋があったの。そこに。ぱっと見たら。
おなかすいてたんで(笑)、タクシーに大森さんたちを残してさ、牛丼食べに行って。
糸井 くくくくく(笑)。
── それおいくつくらいの時ですか? 教授。
坂本 26、7じゃないですかね‥‥。
糸井 ジャージ以下じゃないか!
坂本 (笑)。あ、そう、ジャージ以下。食べて、また乗ってきたっていうね(笑)。食べるの早いですからね。
http://www.1101.com/kyoju/08.html

 ジャージ以下。「食べるの早いですからじゃねえよ!」というつっこみが聞こえてこないだろうか?
 前の発言に怒っているひとだって、最後まで読んだら感じが変わるのではないか。つまり「坂本龍一のジャージ嫌い」は「坂本龍一はジャージ以下」の前フリだということが、ここまで読めばわかるはずなのだ。だから私は、あえて坂本龍一が何のひとであるかすら、話題にするべきではないと思う。なんか教授とか呼ばれてる芸人さん、ピアノも弾く。くらいにしておけば、誤解も少ないだろう。昔も今も知る必要はない、少なくともこの文章の中では有名なアーティストの旦那、という役割なのだから。
 私はこの記事の「矢沢栄吉とフィーリングで仕事する坂本龍一、互いに言葉は通じないけど、なんとかなった」という絵を想像したらやたらに面白かったので、そう思うのである。けだもの。
 で、思い出したのが、爆笑問題がニュース番組か何かで漫才をやったときの話。相撲取りのカミさんをシャブ中扱いしたのね、前フリで。そしたら番組の最後に「事実とはことなった不適切な発言がありましたことをお詫びします」って真顔でキャスターが言ったんだって。田中はちゃんとつっこんだんだぜ「適当なこと言うな!」とか何とか……。これは唐沢俊一さんのネタだから、別にそれが事実かどうかは関係なくて、単に「ありそうだね」って思ってもらえたらいい。
 坂本龍一の言葉を批判した彼らだって、自分がボケたのにマジレスをもらったら、どんな気がするだろう、私はそう疑問に思うのだ。いやそれがボケではなくマジボケだとしても、だ。
 以下は、漫才師ではないひとたちによる、漫才の例。

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