絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

味の走馬灯。エア。

 あるひとの書いた「焼き牡蠣を食べた」という日記(写真つき)を読んだら口内に焼いた牡蠣の感覚がうっすらと立ちのぼった。奥歯を押し返す弾力、ほくほくと焼けた肉がほぐれ、口内で溶けていく。猛烈に食欲を刺激され、焼き牡蠣!どこ!?と思ったが、ふと牡蠣の向こうに豆乳の香り、まとわりつくのどごしが感じられた。これは何か、おそらく「牡蠣は海のミルク」というたとえを想起して、その舌触りを再生したのだろう。そして大豆は畑のミルク。やがて今、私の口内に蘇るのは牛のミルクを飲んだときのあの生ぐさくなつかしい香り。焼き牡蠣だったはずなのに、牛乳。かえせ、牡蠣かえせ。
 ところで『g:neo』を読んだ。巻頭の言葉、そして漱石ファック。やはりid:nandさんこそファック文芸の祖であることを実感する。アルファにしてオメガ、偉大なり。文学フリマ会場では『g:neo』を手に取り「これは何の本ですか?」と尋ねたバージンがいたらしい。何人も。そのひとたちはどんな感想を持っただろうか、気になる、気になる、コーヒーの味がしてきた、もう食後か。エア煙草を一服して、エア窓の外を見る、エアロサンジェルスの町並みにエア夕陽が映える。これぞエアディナーの醍醐味、プライスレス(エアだから)。

参照:honkyochinikki ■エア(略