絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

百万人のシェイクスピア

 おれはファック文芸部というのに参加しているのだが、そこでは日夜文芸に(以下略)

この情報洪水の怪物的な恐ろしさとは、それが美によって美を粉砕し、真実によって真実を破滅させるという点ではないのだろうか? というのも、百万人もシェイクスピアがいたとしたら、彼らの声は結局のところ、大草原で野牛の群れが発する声や海の大波のたてる音と同じような騒音、狂ったような喧騒になってしまうからだ。そんなわけで無数の意味が互いに衝突しあうと、思考に栄誉をもたらしてくれるどころか、逆に思考を破滅させてしまうのである。
スタニスワフ・レム虚数』序文より。

 どうやらファック文芸部文学フリマに出陣のようす。いまやっているのが冊子のタイトル論争というところがファック文芸部らしいところ。んで『百万人のシェイクスピア』はどうかと思ったが、いくらなんでもシェイクスピアは言いすぎだろう、というわけで『百万人の隆慶一郎』『百万人の山田風太郎』等考えたところ、天啓のごとく『百万人の柳生宗徳』というのが降りてきたのでおれは発言を控えた。あと『百万人のシェイクスピア』はいわゆってなかった。