絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

時間は止まったり巻き戻ったりするものかしら。

前にも書いたのですけど、時間が止まったりするのはずいぶん面倒なことらしい。

本当に時間が止まっているなら、その物体は見えないはずなんですよ。見えるってのは、光が物にぶつかって反射して目に入ってくることなわけです。そして光を反射するというのは、原子が光を吸収して、もとの状態に戻ろうとして光を出すことなんですよ。つまり光が当たるとそれだけで原子は変化してしまう。時間が止まっていたらそれは光を吸収も反射もしないんじゃないかしらん。
http://d.hatena.ne.jp/screammachine/20060906#p2

 止まった時間の中では光子も動きませんし、光子が当たった原子も一切反応しないわけで、反射という事態が起こらず、たとえ何らかの事情で止まった時間の中一人だけ動けても、何も見えないのです。その上時間が巻き戻るとか、時間を移動するとか、いろいろと面白いけど難しい。で、話は飛ぶんですが、自由意志について書かれたダニエル・C・デネットの『自由は進化する』の中に、時間に関わる話が出てくる。うろおぼえで書きますとこんな感じ。

あなたは前提から結論を導き出し、何かをする。
時間を数十分間巻き戻し、初期設定値がまったく同じ状態でもう一度考える。
初期設定値が同じであれば、結果は同じである。
しかし、量子的ゆらぎによって結果がランダムである可能性もある。
どちらにせよ、結果が同じなら人間の決定は自由意志のもとになく、量子的ランダムならばやはり人間は決定権を持たない。
さて、自由意志とは何か?

 答えが知りたいひとは『自由は進化する』を買って読むといいんですが、おれはこの問いを読むと本当にてつがくとかやってる奴の大半はズルいと思うのでその話を書きます。
 だいたいてつがくのひとは「例えば」ってすぐに言いますけどね、こんなの言ったら何でもアリじゃないですか。この場合は「例えば時間が巻き戻るとして」ってのがクセモノですよ。だって時間が巻き戻らなければ初期設定値が同じってのはまずありえないわけですから、自由意志とは何か?って問いには「人間の自由意志ってのは、個人の経験や記憶の組み合わせから導き出した結論を、ある程度外界に影響されながら決定するものなのだ!」と答えりゃいいわけです。
 でもそれじゃ当たり前すぎる、てつがくっぽくない、何かもっと難しい問題が必要だ!だって量子論とかほらかっこいいじゃん。よくわかんないけど。で、時間を巻き戻すわけですな、そんで「ほらみろ!自由意志について考えるのは難しいだろう!」とか言い出す。ズルい。
 量子的ゆらぎとか、全然関係ねー、だって時間は巻き戻らないし、巻き戻るならそれは同じ時間なわけで、結局巻き戻ってないのと同じだし。
 映画のフィルム巻き戻して上映して、内容変わるか?変わらないよな。じゃあ撮影したときに俳優や監督は決定論的にその作品を作ったか、量子的ゆらぎにしたがってランダムに作ったか?
 「そういうことじゃなくて、思考実験なんだ」と言うなら量子的ゆらぎなんて出すな。
 バカ(おれ)でもわかるようにやさしく書いてあるような量子論の解説本を読むと、口をすっぱくして「擬人化するな」って書いてある。量子的非決定論というのは、すげえ小さい世界のことだから、常識でははかれないようなことが起こる。だけどそれは極小の世界だからであって、普通の生活に影響を与えたりはしない。だから量子の世界で起こっていることをなるべく擬人化して考えるな、とかそういう感じ。
 さて、自由意志についてひとが考えるときって、どんなときだろう。
 それはやっぱ、個人の罪とか罰とか、人類が今まで行ってきたことだとか、社会と個人のかかわりについて「何でかなあ、何でそんなことしたのかなあ」って思ったときの方が多いんじゃないだろか。小さいスケール、例えば「さっきスモークチーズを食べたけど食べない選択肢もあったな、人間には自由意志があるのかな」なんて考えたりは、あまりしないだろう。
 なのに、この問いは極小の世界と日常をつなげてしまう。決して「100年時間を巻き戻す」とは言わない。同じことが起こると思えるくらいのスケールで話を進めてしまうわけですよ、あーズルいズルい。
 それで何が言いたいのかというとお前らSF読めと。むかしのSFをちゃんと読んでからてつがくとかやれと、まあそういう感じです。すみません毎度同じ結論で。