絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

「空気が読めない」と「空気が読めてない」の違い。

 「空気が読めない」とよく言われるひとは、空気が読めないんじゃないんですよ!ということを発見した!
 本当に空気が読めないひとなら、空気が読めないから無口になるはずなんですよ。いきなり頭に鉛のバケツをかぶせられて、音と光を遮断されたときに、そこらをウロウロと歩き回るひとはあまりいないからです。ところが、俗に言う「空気が読めない」ひとは、話の流れに関係なく自分語りを始めたり、論点がズレたまま話を続けたり、勝手に納得したり怒ったりする。なぜか。
 これはつまり、本人だけが「空気を読んでいる」わけです。むしろ「私は空気が読める」くらいに思っていると仮定しても過言ではない。
 だから、そういうひとには、何と「空気読め」と言うことすら難しい。なにしろ本人は空気読んだつもりになっているので、指摘をされても更に空気読んじゃったりして混乱は度を増してしまうのです。
 空気が読めないひとは、空気が読めないのではなくて、空気が読めていないことに気づいていない、もしくは空気は読むものではないということに気づけないひとのことなのです。
 結局「空気を読む」という技術はどこまでいっても完成することはなく、場を支配するのがうまい、場に溶け込むのがうまい、といった特殊スキルに特化するか、もしくは「空気読み」となって場の雰囲気を破壊し続けるほかに道はないのです。悲劇だわ。
 どうでもいいけど「空気読み」って言うと何かの特殊能力か、蟲師に出てくる蟲か、ナウシカっぽいから、みんな空気なんか読めなくていいので、頼むから読んでるふりだけはするな。