絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

ひでーものを見た。

 とあるレンタルスタジオでの話。
 どっかの劇団が稽古をしている。現代の日本が舞台の、密入国した中国人が出てくる話らしい。そんで、その中国人役が(日本人が演じてるんだけど)自分たちを迫害する日本人に対して「日本人勝手よ!迷惑よ!わたしたち中国人、がんばってるよ!お前たち日本人、がんばってるか?!いつもまわりのせいにばかりしてないか?社会、世間、世の中が悪い?!わたし、お前たちを許さないよ!」みたいなこと言うのよ。
 これは、みっつのレイヤーで哀しい。
 まず一層目。この脚本、書いたの日本人なんだ。日本人が中国人の口を借りて日本人批判しているわけだ、これがまず哀しい。おれは、当事者じゃないくせに当事者視点になったつもりでものを言うのは哀しいと思う。哀しいというかさもしい。そのくせ等身大の自分とか言いやがってよう、お前身長何メートルあるんだよ。
 次、二層目。演じてる奴のセリフまわしが「ニホンヂン、カテヨ!ワタシタチチュゴクジン!」というなつかしの「中国人風」早口喋りで哀しい。この喋り方の哀しさは、その単語の並べ方、その流暢さに現れている。自分が外国語を大人になってから学んだと思ってほしい、怒ったり悲しんだりすることがどれだけ難しいことか、想像できるだろう。怒りのあまりに同じ単語を連発してしまうシーンなどは、映画などによく出てくるはずだ。もちろん、異国の言葉を使いながら本当に怒ったときにどうなるかは、演技とは何の関係もない。なぜなら演技とはそれらしい嘘っぱちのことだから。だからこそ、それらしくないくせに重ねられたでたらめは、哀しい。
 三層目。これらを真剣に演出している演出家が哀しい(脚本もこのひとの手によるものだ)。エンタテインメントの中にちょっとした社会派気分を混ぜ込んで「どうだいこれ、現代を風刺してるだろ?」ってな具合だ。熱の入った演出に、出演者陣も大興奮。
 おれはもう、哀しくて見ていられなかった。
 見ている必要もなかったので、用を済ませて帰った。