絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

ネガドンを観て疑問

 高い志と確かな技術で話題になった自主制作怪獣映画『惑星大怪獣ネガドン』を観た(いまさらですが)。
http://www.h2.dion.ne.jp/~magara/project.html
 ほめてるひとはいっぱいいるので、頭に浮かんだ疑問だけ書いておく。
 これは、平成ガメラ一作目でもそうだったんだけど、何で怪獣やらロボットが現れてすぐにテレビのキャスターは「怪獣です」「ロボットです」と言うのかね。いや、ネガドンの「ロボットです」は未来の話だから百歩譲ってアリにしよう、って意見もあるかもしれんけど、やっぱりアレは二体目の怪獣、別の怪獣として認識されるべきじゃないだろか。その上でシナリオの展開に沿って「ロボット」なり「二足歩行機械」なりに呼ばれるべきだよ。ていうか最初の方では「二足歩行機械」って言ってたよネガドン
 平成ガメラでも、自衛隊や何やらのシミュレーションは一生懸命やっていながら、ニュースで「怪獣が現れました」とやられたので困った。また唐沢なをきがマンガでその辺が燃えるとか書いていたので更に困った(おれは唐沢なをきのファンなのだ)。
 あのう、その世界で怪獣って言葉はどういう扱いなんですか?報道機関が豚や牛、猿なんかと同じように扱える言葉なの?違うでしょ、そんな巨大生物ありえないみたいな話を事前にやってたわけじゃん。怪獣って言葉自体がどういう扱いなのか示されてないじゃん。そういうまともな世界に信じられないデカさの生物が出てくるから驚けるんじゃないの。そんで、劇中の人間たちが段々と異常な世界にズレていって、巨大な生物を自然に「怪獣」と呼び始めたときに、初めてそれは正しくその世界での「怪獣」になるんじゃないのか。
 恋愛映画のラストが恋に気づくことであるように、巨大な生物が死んだり海に帰ったとき初めて怪獣と呼ばれるというのはどうだろうか。余談ですが。
 ネガドンに話を戻すと、CGに関してはかなり「いい!」と思う部分もあっただけに、余計にその辺が気になった。映画としての無邪気さは「この下等生物が!」といったセリフにも現れている。下等生物て!「科学者はそんなこと言わねえよ、ていうか言ってほしくねえよ」って思ったよ。もちろん、機械工学者は生物学に詳しくないってのを描写しているのかもしれないけど(だいぶ贔屓目に見て)、科学者って自称しているんだから進化論くらいは理解しておいてほしい。
 というか、怪獣がいてもふしぎではない世界の話が描きたいなら、変な陰惨さとか、人間関係のグロテスクさなんか表現してないで、しっかりマンガをやってほしいと思うのだけど、そうならないで陰惨さが増すだけの場合が多いところがふしぎだ。
 リアルって何だろう。おれはリアルな怪獣映画が見たい。