絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

クネクネしよう。

コメント欄でDISられた。

111『パン食うな、つまんない。
演技、カメラワーク、シナリオ全部が「この世にない方がマシ」レベルだった。
隣のベンチで座っている奴も含めて、全員同い年ぐらいだし。
勘違いしてる大学生達が作ったらああなるよねって感じ。不快。』(2006/05/07 12:48)

 なぜ彼、もしくは彼女が匿名によってこの意見を書かなければならなかったのか、その点に私は注目したい。
 彼(便宜上)の主張は結末としての「不快」にあらわされているのだが、そこに至るまでに彼は、頭を血が出るほど掻き毟りながら『パン食うな』というつまらない作品に対して分析を行い、誤った推測をし、同意を求めようとする(「ああなるよねって感じ」は誤りの指摘に対する二重の防御となっている)。
 彼の意見に同意する者が、彼に同意を示す(同じように不快であることを表す)ためにはさまざまな方法があるが、それらは全て(彼の知人でない限り)ある一手順を期待しなければならない。つまり彼による能動的な同意の散策である。
 このコメント欄であれ、何者かのブログであれ、匿名掲示板であれ、彼は自らの意見に対する同意を発見するためには、自らその意見を探さなければならないのだ。
 しかしここに、彼の求めうる最高の、そして最速の結末がある。書き込まれた作品の作者(つまりおれ)が同意を示せばいいのである。
 これが、ツンデレというものなのだろう。
 では作者は彼の意見に同意するか?残念ながら同意のしようがない。ギャグはどこまででも説明しようと思えばできるが、そんなものは理解できない方が悪い。隣のベンチで座っている奴も含めて年齢差はゆうに十二を超えていた。そして誰一人として大学生ではなかったのだ(勘違いはしていたかもしれないが、それは誤差の範囲であろう)。
 さあ、考えてみよう。なぜ彼は不快になり、これらの誤解を示したのか?なぜ全ての点において「作品の方が誤っているのだ」と考えたのか?
 その答えを探すのが「作品を見る」ということなのだと示唆して、この項を終わろう。
 ということを頭を血の出るほど掻き毟りながら書いたよ!