絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

内省

 なんにせよ表現というものは見た人間にショックを与えるべきであって、その辺がおれには足りない。同意は得られても「そうか!」と思わせたり劇場をあとにして景色を一変させるほどの力がない。ショックというのは怖いとかびっくりしたとかでなく、見たあとで自分が変わってしまう類のものだ。