絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

『片話』にて身の証をたててみよう。

片話とは
 はてなキーワードが全く含まれない 1KB 以上の小説を書くこと。筒井康隆残像に口紅を』の変形。短文ならば可能であるが 意味のある記述を恐るべき速度で行った場合 その面倒臭さは真剣勝負以上の
http://neo.g.hatena.ne.jp/xx-internet/20060212/p1

 恐るべき速度では行えないこの苦行、挑戦と失敗を繰り返すことになるだろう。麻草が何度も内容を確かめるのは自分への猜疑が原因か。
『虎眼流片話、つかまつれ!』
 あー無理。ていうか小……説?書けると思う?
 麻草は自問した。既に行った書き直しは三回、もはや最初の書き込みは原型をとどめていない。そして四回。これはまさに脳の再結線と言えよう。人格の細部を修正していけば、やがて理想の自己像に近づく。その時自分を眺めているのは、もとの自分だろうか。もしかしたら、別の誰かが自分のふりをしているだけなのかもしれない。この文章も同じだ、もはや原型をとどめていない文章にどれほどの自己が残されているというのか。
「五回。一つの単語のみを書き直すだけで済むとは、当初の意に反して片話、あなどるは危険なれどしかし」
 麻草は禁止単語が含まれている気配に打鍵をゆるめたが、もはや後戻りはできぬと覚悟を決めて再び片話にとりかかった。B数は816、あと208Bで片話は終わる。疲労により、そこかしこに傷は負えど、一命を賭して片話を舞いとげた麻草の目には、涙があふれることだろう。
「残り208B、最後の型は仕上がりを目視できぬ態勢から、緊急停止不可能の……」