イーガン『順列都市』『宇宙消失』
『博士の愛した数式』という作品に、素数は美しいという話が出てくる。普通のひとが風景や絵画を美しいと思うように、数学者は数式を美しいと思うのだ、と。それを指して「斬新な発想だ」とか言うらしい。そんなのはSFが数十年前に通過した場所だ!お前らが!無視した世界に!宝石はあったのだ!お前らが踏みにじった世界に、美しい命は確かに存在していたのだ!
いや、別に滅びたわけじゃないですけど。
ていうか、こういうSFテイストのある作品のヒットをきっかけに、みんながSFを読むようになればいいと思っていますけど。誰かアルジャーノンみたいなの書いてくれねーかな。
とにかくちかごろは、このような二律背反にさいなまれることが多い。
SFというジャンルには、そこでしか感じることのできない感動がある。それはもちろん、ミステリにも純文学にもスラップスティックにもある、それぞれが持っている魅力というものだ。SFがそれらより優れている、という主張をするつもりはない。しかし、その感動を、SF独自の脳が打ち震える快感を知らないまま生きるのは、もったいない事だ。
グレッグ・イーガンの作品は、怖い。これは、怪奇映画のように恐ろしい、他の何者にも代替し難い魅力を持っている。登場人物たちはその世界の基準に生き、悩み、解決策を模索する。そこで問われるのは、おれたちの「当たり前」だ。おれたちが「当たり前」だと思っていることが崩壊する、再構築される、そしてまたねじれ……おれたちの脳は再結線される。怪奇映画と違うのはそこだ。暗がりに気配を感じ、何気ない風景に歪みを見せるのが優れた怪奇映画なら、優れたSF小説は脳を変容させる。
おれたちは"言葉"を使ってものを考える。考えるためには"言葉"が必要で、それは外部から取り込むしか術がない。思考という迷路は、取り入れられた"言葉"を壁材として組み立てられる。もちろん組み立て設計書だって外部から取り入れた"言葉"だ、おれたちはその"言葉"を組み合わせる。そのときに、組み立てるマニュアルに書いてあることが、もしも「考えるな」「消費しろ」「従え」だとしたら、おれたちはどうなるだろう。
おそらく、迷路を作ること自体をやめてしまうだろう。マニュアルにそう書いてあるのだから、従わないわけにはいかないのだ。これは「思想」などといった込み入った話ではない、コマンドは一言で済むのだ。「差別しろ」「疑うな」「敵を排除せよ」「見敵必殺!」「見敵必殺!」「見敵必殺!」
おれたちには抗う術がない、SF以外に。
SFは美しい風景画ではない。SFはおれたちを癒してはくれない。SFは選択するための杖だ。SFは逃げ込む場所じゃない。抗え、考えろ、消費するな、愛せよ、そして全てを疑え。
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