絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

宗教ってダサいなあ。

 まずはこちらをご覧あれ。

少女単体ロミオとジュリエット」の備忘録
いま世界の片隅に、「少女単体」という芸術ユニットがあります。中心人物である苅谷文の強烈な個性に依拠したプロジェクトで、現代日本の前衛芸術のひとつの形として、某方面で話題沸騰中だといいます。(中略)
ネットユーザは約8000万人、mixi 会員は300万人足らず。それなのに、たった約40人の客の中に mixi 会員で日記をちゃんと書いている人が4人? 少女単体というプロジェクトの偏りが透けて見える感じがします。
http://deztec.jp/design/06/01/31_syojotantai.html

 まあ大胆な中略。このレポートの素晴らしいところは、チェーンソー持って代官山のカフェテラス行ってエンジン音響かせながらネクタイ曲がってるの気にしてる、みたいなところです。まあ徳保さんはいつもそんな感じです。
 少女単体のレポートを読むと、ひどいものを見せられた、金返せ、という感想が多く見られます。ところがそのレポートを読んで金をドブに捨てる勢いで見に行くひとがいる。
 金をドブに捨ててはいけません。ところがドブとわかって金を捨てに行く。なぜか。
 これはつまり、みんなでひどいものを見て、ひどいひどいという遊びなわけです。悪趣味の中でもかなり下品な部類に入るもので、似たものでは「四谷の某ライブハウスでZ級アイドルのオーディションを見る」「対人能力に問題のある人物をテレビに出して笑いものにする」があります。
 上に下品と書きましたが、上品であれ下品であれ、悪趣味は悪趣味です。そもそも、ひどいものを見て「ひどいなあ」と言うあそびは、根本に悪をはらんでいます。ところが徳保さんから見た彼らの悪趣味は、どうも「全部ネタ」という免罪符によって悪から逃れているらしい。それはよくない。
「全部ネタ」という免罪符は、テレビという額縁、舞台装置という額縁の中で機能するものであって、そこを一歩出たときに、振りかざしてはいけないのです。だって、そんな免罪符に効力はないからです。
 さらに最悪なのは、リンクされたレポートの中に、むしろ「吐き気がする」「現代の歪み」と批判的なものがある点です。最悪です。ああもう、こいつばっかじゃなかろうか、と罵声を浴びせたくなります。バカ、もしくはイノセントなのか(同じです)。「ヌルいネタ」と嘲笑する奴も「演劇ではない」と批判する奴も、どっちもバカ
 冷蔵庫を××してしまった徳保さん、そしてそれを備忘録に書いてしまった徳保さん、これが演劇を見るということだ。殴ったり、殴られたりするのと、演劇を見るのは同じことだ。安心したいなら畳のケバでも見とけ。
 もし観客が、舞台に向かって、やっていいことやってはいけないことに区切りをつけるなら、自分の基準で「これは正しい」「これは間違っている」と線引きをするのなら、手を汚さなければならない。相手の迷惑など、顧みてはならないのだ、すべてブチ壊してしまえ。
 それすらもできずに現場から逃げ出したような奴、現場の空気に同調してヌルい時間を過ごした奴、つまりは戦うことを拒否して常識に寄りかかった奴に偉そうな自分語りをさせてしまうのが演劇の現状です斃れ。
参照
ことこ・本と花びら大回転! - ぼくらはもうゆめをみない(id:kotoko:20060203)
オオツカダッシュ - 本来性というジャーゴンと徳保さんと俺とお前と、そして大銀河暗黒神さま(id:VanDykeParks2:20060204:1138989972)