絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

友達が観察対象扱いされているわけだが。

 やっぱ、ネットリテラシーというのは読む側より先に書く側が手に入れないといけないわけで、あんまり擁護する気も起きない(友達だから擁護しなきゃな、と思うところがムラ社会的)。
 あと、彼が面白がられたり煙たがられたりするのは、彼が強いところも弱いところもむき出しにしてしまうからであって、彼がみなの指摘どおり、情報の確実性を高めて、アジテーションを控え、論旨の展開を抑えたら、そりゃ味気ないものになると思う。真面目に彼の言説を信じてしまうひとがいるのも、そのテクニックありきなのだ。ま、そのあたりの技術的な奇形っぷりが、モヒカン類には美味と感じるのだろうな。
 なんにせよ、第一観察者の尻馬に乗って「お、水に落ちてるぞ!叩け!」って感じで結局言い回しを変えただけの同じ文章書いてる奴は馬鹿だ。もっとヒネれ。真顔で「味気なくなればいい」なんて書いてるひとは、なんだろうなあ、観察者には向いていないんだと思うよ。環境問題とかに取り組んだらいいんじゃない?
 観察対象への善意なくしてエレガントな観察は行えないのではないだろうか。