絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

「ブラックジャックによろしく」にサイコドクターぶらり旅の文章が?の件。

 まあここまで同じだと、コピペ改変だろうなあ、と思われる。おそらく、編集者もしくはアシスタントによる提供資料の中に、当該文章がまぎれこんでいて、そのままコピペしたのでしょうな、まあそんなことはどうでもいい。作業工程で複数の人間が関わる作品にはよくあることなので、当事者同士で解決すればよろしい(もちろんその過程をネットで公開するのは有意義なことだ)。問題なのはコメント欄です。読んで驚きました、これはではまるで、コメントスパムではないか。
 パクリじゃないだろ、って怒ってる人ら*1は、いったい『ブラよろ』の何を良いと思って読んでいたのだろうか。
 おれは『ブラよろ』を好きではないけれど、あのマンガに書かれている愚直な正義感というものは、匿名による皮肉や中傷を良しとはしないように思う。自分の属する社会で通用する正義を掲げて、匿名で嫌がらせをすることは、あのマンガの中で醜いとされていた行為なんじゃなかったか。あのマンガの主人公や、新聞記者なら、馬鹿正直に実名で抗議するんじゃないか。
 そして、こういうパクリ騒動のときは、いつもそういう気持ちがするのだ。自分の好きなものがパクられたときや、自分の好きなものを何かのパクリだと指摘されたときに、何で人は怒り出してしまうのだろうか。自分の作品をパクられたときに怒り出すのは当たり前*2としても、なぜ好きなものがそれほどまでに独自性を保たなきゃならないのか。
 そして、その怒りが相手に対する誹謗中傷と化しても当初の正義感が維持されるのはなぜか。たとえば卑怯なことが嫌いな主人公の出てくるマンガがパクられたとして、なぜパクッたマンガのファンを匿名で罵るのか。卑怯なことが嫌いな主人公もしくはその主人公を創った作家は、そんなことをするファンを見てうれしいのだろうか。
 すごくふしぎなのだ。

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 脚本家とプロデューサーの変更で突然路線が変わり、話題になっている『仮面ライダー響鬼』の劇場版公式ブログが荒れている件について。パクリ問題とは違うが「関係ない人に好きな作品をいじられたくない」という感覚、つまり「汚される」という感覚が共通するのではないかと思いました。
仮面ライダー響鬼公式ブログ
 そして、自分の好きな作品が汚されたという怒りならこれだ。
映画デビルマンを徹底的に叩く!

*1:その中に、何人の『ブラよろ』読者がいるのかはわからないけれど

*2:独自性は商品としての価値を高めるからだ。