絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

ラリルレロ〜映画『コンスタンティン』について他〜

『ドラッグストアカウボーイ』とゆーラリ映画があって、ラリのさめかけの、もう帰ってきちゃったあたりの、どーしよーもない感じの、とてもいー映画なんだけど、なんでその話をしているのかとゆーと、先日友達と『コンスタンティン』を観に行って、ラリ爆笑必死の臨死体験シーンがあったのね。えーと、要約すると、地獄に証人がいるから、刑事が地獄に行かなきゃいけなくなって、媒介に水が必要だからって、バスタブの中に服を着たまま入って、そんでしばらく待つんだけど何も起こらなくて、でも胸はエクソシストが押さえ込んでるから水から出られなくて、やべえ死ぬって気づいて暴れるとゆーシーンなの。その真剣な刑事の顔と、行為の間抜けさと、刑事が「コレさ、死ぬよね?」って気づくタイミングとか、そうゆーのがすごくよかった。キリスト教でホラ、洗礼んときにさ、水に沈めるヤツらいんじゃん、今調べたら東方教会ってゆーのね、一緒にしたら怒られっかな。まあいいや、そんで、刑事は一瞬死にそうになって、地獄に行くんだけどー、フラットライナーズ?まあそうゆー感じなんだろうけどめちゃくちゃだよね、死ぬからね、溺れたら。えーと、なんだっけ?そうそう、マンガでさ『ウルトラヘブン』って、小池桂一ってひとの、ラリマンガあるじゃない。あれでもさ、まァあれはサイケの再現なんだけど、何度も死にそうになって、生き返ってって、やるのね。あとなんだっけ、あのさ『コンスタンティン』でもさ、ベロベロベローンって地獄と現世が裏返って帰ってくる、ってシーンがあって。
 何が言いたかったんだっけなー、すごく重要なことだった気がするんだけどおもいだせない。うん、ラリからオカルトやらスピリチュアルやら行っちゃうひとって多いし、宗教的法悦感ってラリと同じだからって話だと思う。わかんないけど、おれだけかもしれないけど。そうだ、そうだ、だからねー、ドラッグや宗教にいろいろな種類があるみたいに、映画もいろいろだって話なんだよ。そうかな?そうじゃないな、そんな話じゃない。そうだ、たとえば『ロッキーホラーショー』はまったくラリとは関係ない映画だけど、観終わったあとの感じ、パーティーが終わったあとのさびしさ、置いてけぼりになった感じ。あれは、ひとりぼっちで新宿駅の階段で寝てた、通勤客の足の間で寝てた、あの感じにすごく似てる。ひどく個人的な話だけど。そういや新宿にフレディマーキュリーの胸像が立ってた。『コンスタンティン』観たあとで、コマ劇の交差点でそれを見た。あらゆるものから終わってゆく感覚、終わってしまった感じ、あとの祭り、死んだあとの医者、そうゆーのを感じる。そうゆーのがすきだ、現実じゃなくて、虚構のはなし。