絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

アブサンおいしいな。

知識がない人が「どんな宗教も悪だ」と考える。
無宗教の自分が言っても説得力がないけど、あえて言うと
わけわからんまま否定する奴のほうが悪。
昨日、パンクラスの尾崎社長と会ったが、彼はこんなことを言っていた。
宗教の功罪で言えば、功もある。
自殺者を救っているのは功。
http://www.tanteifile.com/diary/index5.html

 事実に目をそむけて、非論理的なことを書く奴は嫌いです。
参照:

教団の本部から50キロほど離れた別の礼拝施設では、掘っ建ての建物の土の床の下に、153人の遺体が埋められている見つかった。刃物で切られたり、首をしめられて殺された後、埋められていた
集団自殺か殺害か:ウガンダ終末教団事件
http://tanakanews.com/a0327uganda.htm

ガイアナの軍隊がジョーンズタウンにおそるおそる踏み入ってみると、そこにもう生者の姿はなかった。
 914の死体が薪ざっぽうのように並んで横たわり、そのうち267体が子供の死体だった。
 ジム・ジョーンズは祭壇の上で、右のこめかみに自ら撃ち込んだ一発の銃弾によって死亡していた。
宗教の狂気 ジム・ジョーンズ(人民寺院)マグダレーナ・ソリス
http://www8.ocn.ne.jp/~moonston/god.htm

江川桜堂こと忠治は3/20朝5時半、33歳で死去。(中略)3/25、江川の実弟である青木桜花こと万寿吉は江川の実家の物置で切腹、服毒自殺を遂げる。23歳であった。同日朝には教団本部で前日夜に銭湯で身を清めた今井、三輪の2女性が服毒自殺、23歳の三輪はそのまま絶命したものの今井は夕方になって死亡。20歳の若さで、先に自殺した同姓の女性の妹であった。
「死のう団」顛末記
http://www.geocities.jp/showahistory/history1/12a.html

ブランチダヴィディアンズの信者達は、教団本拠地に立てこもり伏兵作戦に出たのである。(中略)104名立て籠もっていた信者のうち86名が焼死する事態となってしまったのである。
アメリカ合衆国におけるカルト宗教団体と事件
http://www.kokugai.com/zakki_cult.html

追記
 アルコールは毒だな。酔っ払うと説明が面倒になる。
 創価学会という宗教団体に入るのも、その団体をバカにするのも、バカにする奴の誤謬を笑うのも、自らが主催するWebサイトの方針を表明するのも、どれもこれも勝手にやればいいことだ。
 おれが勝手にむかついているのは、宗教の利益を「自殺者を救う」という宗教の本義ではない部分に添加して擁護している部分にある。
 確かに、全ての宗教が人を殺すわけではない。だが、多くの宗教は人を殺してきたのだ。それはなぜか。
 なぜ、宗教には自殺を止める文言が必要なのか、よく考えてほしい。
 わざわざ自殺を止めなければならないのは、なぜか。
 それは、死後の世界を信じるということは、死を肯定するということだからだ。
 目の前にある死を肯定するための教えだから、わざわざ自殺はいけませんよ、と但し書きをつけなけりゃならなくなる。
 愛する者の死を受け止めるために、自らのやがて訪れる死を受け入れるために想定された死後の世界が、甘美な楽園へと変貌する。
 なぜ、甘美な楽園に、いち早く訪れてはいけないのだろうか。
 宗教を信じるということは、その考えを肯定するということだ。
 なぜ、死んで楽園に向かってはいけないのか。
 いけないのである。なぜなら、そこにいったあなたには、やはり二度と会えないからだ。
 あなたが死に、脳と身体の活動が止まれば、あなたという人間はいなくなる。甘美な死の楽園で再会できたとて、それは既にあなたではない。私が私でなくなるように。
 水の流れとともに回転する水車から、水の流れだけを取り除けるだろうか、水車だけを取り除けるだろうか。
 あなたは死んで、私たちの記憶、脳の中に分散され、生き残る。だが、私があなたを想うとき、私の脳内に生まれたあなたは、今この文章を読み、考えているあなたではない。あなたに似た別のものだ。
 それが死ぬということだ。
 宗教には功がある。だがそれは自殺者の抑止では、決してない。

 ちなみに仏教は自殺を禁じていない。