機動旅団八福神1巻ISBN:4757720920
ロバート・オコナーさんの小説『バッファロー・ソルジャーズ』が面白かったのですが、そんな感じでした。って何の説明にもなっていませんね。映画『戦争のはじめかた』の原作です。
id:Hayashidaさんと呑んだときの話続き。
ゲームにはゲームの楽しさがあるのだから、物語を体験したいひとは小説や映画やマンガや舞台を見ればいいのにね、という話を散々したのです。それは、ドラクエやFFが、小説やマンガに比べて物語の出来が劣っているという意味ではありません*1。
シミュレーションゲームにおける「キャラクター性を付加されていないユニットの自発的行動」に発する涙と、RPGで共にパーティーを組んだ重要キャラクターが死ぬことで発する涙は、違います*2。
ゲームのよろこびは、システムと物語の幸福な融合にあるのではないか?システムから遊離した感動が「ゲームの感動」なのか?という疑問の形をとった確信があるわけです。
話は戻って。
戦争という題材に対する、視点の置き方。
『気分はもう戦争』というマンガに、義勇軍に志願しながらエアガンを手に死んでいくモラトリアム青年が出てきます。エアガンじゃ死ぬよね。納得のいく結論です。
いわゆるセカイ系と呼ばれる一連の作品に違和感をおぼえるのは、そこです。
なんでお前ら死なないの?エアガンのくせに。
八福神劇中の言葉を借りるならば「ほら、時代はレーザービームだろがよ」ということです。
たぶん八福神の連中は簡単に死ぬので目が離せません。
*1:ほんとうは劣っている、もしくは劣らざるを得ない、と思っています。作品に引きずり倒される物語のよろこびと、作品と戦うゲームのよろこびは、ぶつかりあうものだからです
*2:えーと「いままでゲームで一番感動したとき」という質問に対する答え「自国の辺境都市にせまる蛮族の騎兵隊。防衛隊はすでに全滅。新造した防衛ユニットの完成までどうしても1ターン足りない だが 近くで開墾していた開拓団ユニットがその進路上に立ちふさがり、そのわずか1ターンを稼ぐ為、全滅した。その彼らと連中の決意を思うとき(c平野浩太)」という前提のうえで、上記の対比はあります。感情移入するための器が、システムと共にあるか、別であるかの重要性を書きたかったのです。この場合はシステムと共にある=シミュレーション>>>>>システムの外にある感動=シネマティックRPG。というわけです。四角い会社のヒゲ仲間は、ゲームじゃなくてもいいのであり、華麗なムービーが浮動小数点計算であり、うんこです。