絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

天才が出てくるマンガについての話

 友達さんと『はちみつとクローバー』の話をしていたら、友達さんが「森田とはぐの才能を掘り下げてほしい」と言うので「自分より高い能力は描けないんじゃないか」と答えたのですが、表現によっては天才を描くことは可能なので、そういう作品をふたつ挙げてみたい。前も書きましたけど。

『昴』曽田正人
バレエの天才少女が、人知を超えたバレエっぷりを見せる、バレエきちがいマンガ。見所は追い詰められた昴がブチブチと周囲をなぎ倒して進化していくさま。曽田作品は、自転車マンガ『シャカリキ!』から天才消防士『め組の大吾』→『昴』という流れで天才の極北を描き、現在は「常識外れの努力をする男マンガ」『カペタ』へ原点回帰している。

『シュガー』新井英樹
ボクシングの天才少年が、人知を超えたボクサーっぷりを見せる、ボクシングきちがいマンガ。見所は様々な難関を軽口をたたきながら乗り越えていく主人公リンの薄っぺらさと格好よさ。『ワールドイズマイン』でどこかに行ってしまった埋め合わせをするように生まれたこの作品と『キーチ!』は、人知を超えたキャラマンガ好き必見。

 二作品に共通する魅力だと、ぼくが勝手に思っているのが、天才が常軌を逸した方法で人間以上になっていく過程の快感。
 『のだめ』でも『はちクロ』でも、天才としての傍若無人さが、スパイスとしては活かされているんだけど、メインプロットにはなっていない(驚くべきことに)。
 なぜなら、狂気の快楽は、恋愛とは相容れない場合が多いからだ(その「相容れない」という部分だけは、活かされているのだけど)。

 行きすぎた狂気は、ギャグと紙一重だ。
 だから『はちクロ』では森田が、そして『のだめ』ではのだめ本人がギャグ要員なのだと思う。ギャグにするしか、その天才ぶりを描く方法がないのだ。
 天才は、人間と恋愛などしていられないからだ。
 そんでもって『はちクロ』と『のだめ』の面白いところは、天才云々とは関係ないので、いいのだ。