絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

香田さんとビジュアル系とサボテンとバントライン

 クラックというバンドが香田さん斬首映像をライブで上映、怒られる。
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 知り合いとこの件について話したので、考えが混ざってしまった。
 ぼくは斬首映像を上映したことに対しては、何も思いません。やって良いことと悪いことなんて区別はつける意味がないし、そもそも、そんな差はないと思います。面白さの違いは、映像の種類ではなくて、演出や構成力で生まれるのではないでしょうか。つまらないものはどんなに清廉潔白でもつまらないし、ひとの死を笑いものにしても、面白いものは存在します。事前にビラを撒いたという点からも、クラックさん方が「ショック死保険」的なことをしたがっていたのがわかるので、怒っているひとは、そういう宣伝とか、映画とか漫画とかも嫌いなのだろうなあ、っていうふうに考えたりしましたよ。
 こうやって香田さんの首に関して考えて消費するのと、ライブの背景映像として流すのと、違いがあるとすれば、言葉は重ねれば意味が少しは伝わるかもしれないけど、ライブとかは意味が伝わらなくて大変だなあ、ということです。
 でも結局言葉だって、伝わるのは「似たような意味」であって、本当に考えたことではないのだから、そんな当たり前のことに、いまさら驚いたり、悲観したり、怒ったりするクラックさん方、首切り画像に驚いたり不謹慎だと怒ったりする方々は、よほど普段喋ったり考えたりしないのだろうな、と思った(言い過ぎた)。
 あの映像は、殺したひとたちが「どうだ首を切るぞ怖いだろう」という感じで作ったものだと思うけど、使ってる言葉も違うし、言語が違えば思考の方法も変わるので、ペリー(宮崎吐夢さんの演じた奴)が怒ったときと同じくらいの怖さだったと思います。 すごく怖かったひとは、感受性が豊かなのだろう。感想を読むと「いやなもん見せられた」という感じなので、うんこ投げても同じ感想だったかもしれない。ひとの死に様をうんこ扱いするとはひどい観客もいたものだ(余談)。
 そういえば、ビジュアル系って、格好よくてオシャレな感じが売り物なのだと思っていたので、ああいう間抜け感のある映像を背景に流したら、だいなしじゃないのかな? って思った。首切り映像を「どうだ怖いだろう!」って世界に配信するテロリストのセンスは、すごく間抜けだと思う。

  • なぜ怒られるのか

 既にあるものを利用して作品を作るということは、その利用したものから受ける印象を借用するという点で、一から作るものに比べて、手抜きと言われることが多い。けれど、その辺の境界(オマージュとかインスピレーションだとか)は曖昧だから、ぼくはそれを手抜きだとは思わない。モデルを見て書いた絵画も、映像のリミックスも、できあがったものが面白かったら、それでいいんじゃないだろうか。
 だけど、それがあまりに意味のない自己顕示でしかない場合は、何でそれを素材に使うんだよ、という風に苛立ちを感じるのだろう。「それとお前は関係ないじゃないか」ということだ。まァぼくはクラックさん方のステージをじっさいに見ていないので、その辺はわかりませんが。

  • 更に余談

 似たような苛立ちや怒りは、ぼくだって感じるのだ。だけどこれは何と言えばいいのか……ひとの作ったものを悪く言うのは、あまり得意ではないのですが……。
「サボテンとバントライン」フラッシュ
http://members.at.infoseek.co.jp/scissorhands/html/animation/saboten.html
 もうね、ただ歌詞を絵に直しただけだから。好きな曲を誰かに聞かせたいのなら、単にmp3を置けばいいだけですよ。このひとが手を加えなくてもそれは作品として存在しているので、絵をつける意味がないです。普通こういうのは、過去の作品のいいところをツギハギしただけの、空っぽな作品として批判されて、ぼくが「でも面白いと思います!」って擁護するんだけど、これは擁護不可能、だって単に絵にしただけだから。
 むしろこれを「自分の作品です」って置いて、いいの?って思う。だいじょうぶですか?って。何で置いてるのかよくわからなくなってくる。苛立ちや怒りというよりは、不安感が……「ホーイサボテン緑の光」でサボテン光っちゃうし……じっさいのビデオクリップも、単なる歌詞の説明だったような気もしますが……というか世の中のビデオクリップというのは、わりと歌詞を説明するだけのものが多かったりするのでしょうか……。