まとめ:「血液型性格判断」の意味
id:screammachine:20041123の続きです。
まずは、人類は言語によって情報を交換して種を繁栄させた、というのが一般的な見解だとしましょう。それが昆虫なら、昆虫類は化学物質で情報を交換し、種を繁栄させたと書かれるわけです。
「餌はあの川のそばにあるぞ」
「我らが群れは南に移動するのだ」
「敵が来たぞ逃げろ/戦え」
これらの情報がまったく共有されなければ、個体は減り、群れは滅亡します。
つまり、群れで生活する生物にとって、情報の共有は、必須なのですね。
しかし、距離が遠ければ、言葉は届きません。しかも、あまりに複雑な情報や、理解に時間のかかる情報、理解するために他の情報を必要とする情報(コストの高い情報)は、伝達の仮定で欠損する可能性が高いのです(伝言ゲームを想像しましょう)。
だから人類は、伝達の方法を数多く考えました。より遠くへ、より複雑な情報を、完全な形で届けるために、さまざまな方法が考え出されました。飛脚、狼煙、手旗、電信、電話、電子メール。
けれど、あまり変化のないものが、ひとつだけあります。
それは、伝達する内容です。なぜなら、単純なものの方が、より多く伝達されるからです。
テレビがどんなに高画質になっても、ワイドショーはなくならないでしょう。
インターネットが普及すればするほど、ポルノの需要は増えるでしょう。
人類が必要とする情報は、それほど多くはなかったのです。
では、人類は、狼煙の時代に戻るべきなのでしょうか?
意味を探すことに、どんな意味があるのでしょうか?
意味や根拠を探す行為は無意味だからやめた方がいいのでしょうか?
ここで、最初の質問を確認しましょう。
血液型性格判断を信じるひとに質問です。
信じることで、群れにはどんな影響があるのでしょうか。
血液型性格判断を信じるひとからの答えはありませんでした。
なぜなら「血液型性格判断を信じる」という行為と「群れの今後を予測する」という行為は、互いに矛盾するからです。「信じる」は、疑うことを否定します。ところが「予測」は疑うことから始まるのです。判断を停止し、新しい情報を入力しなければ、予測はなりたちません。
常に疑問を発し続けること、それもまた人類が繁栄した原因のひとつであります。
「ネットワークを維持することに何の意味があるのか?」
「生命には目的があるのか?」
「猫はなんでふしぎなのか?」
血液型性格判断は、これらの質問に答えてはくれません。
ただ分類し、定義づけるのが、血液型性格判断の目的だからです。
そう、血液型性格判断には明確な目的があります。
分類すること、定義づけること。それらは「情報を共有する生物」人間にとって堪えられない快感です。脳はその為に生まれたと言っても過言ではありません。
そして、なぜ明白な否定の論理が成り立つなか、この国で、血液型性格判断がここまで浸透したのか。ここにその答えがあります。
「分類」と「定義」は、中世においては、世界的な規模で禁忌でした。
権力の側にいる者だけに許された行為、それが「分類」と「定義」でした。
ところが近代になると、「分類」と「定義」は誰の者でもなくなりました。勝手な「分類」と「定義」に代わって「ほぼ事実」だけが、世界規模で共有されるようになったのです(もちろん例外は多くありますが)。
「ほぼ事実」ほど、人間を不安にさせるものはありません。
日本には、ほぼ事実がたくさんあります(各自想像するように)。
根拠なく断定すること。これが、今の日本という群れが最も必要としていることのようです。
血液型性格判断を信じることで、群れは安心します。
血液型性格判断は、日本のモルヒネです。
これが答えです。*1
*1:根拠なく断定してみました。