絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

小学校

 仕事で、ある小学校へ行った。
 子供は、ちょうバカなので楽しい、奇声を発したりくるくる走り回ったりする。
 おれは、ファミレスでキャーッて言ってる子供を見ると、一緒に奇声をあげたくなる。ウズウズしながら子供に変な顔や笑顔を見せていると、母親らしき生き物が「すみませんねえ」「ごめんなさい」と言って謝る。まァ単に気味の悪い男から子供を引き離す為の手段なのかもしれないが、子供が騒いでも謝るので区別はつかぬ。
 それが彼女の育てる方法なのかもしれず、声をかけるのも憚られるので言わないが、あの「キャーッ!」をしずめるには、小声で楽しそうに話しかけてやればよい。子供はノドに大きな音が通るのが楽しくて叫ぶのであって、叫ぶという行為に付随する様々な迷惑など想像の埒外である(もちろん騒ぐことで親が注目する、などという悲しい原因もあるやも知れぬが)。その子供に「何で騒ぐの!」と怒鳴ったところで答えなど得られるはずもない。なぜ酒を呑むのか、なぜセックスをするのか、なぜ友と語らうのか、理由に気づくのは、それらを知り尽くしてからだ。
 親が叫べば子供も叫ぶ。親が小声で興味深い言葉を喋り、繰り返すことを喜べば、子供はそれを快感と知る。これは多くの小学生低学年と接し、仕事をするうえで学んだことだ。彼らが知っている快の種類は、驚くほど少ない。
 子供に「静かにしなさい!」などと叫んでしまっては、更に大きな叫びを生むか、理由もわからずに萎縮するだけだ。
 快感とは、学ぶものなのである。
 もちろん、子育てや教育が、すさまじい所業であることは、承知で言うのである。四六時中わめき散らす子供に対して、冷静に接するのは並みの精神力では辛かろう。この言葉は子育てのプロに伝えたいのではない、ただこれから子供を作ろうと思う御仁に、知っておいてほしいと願うのだ。
 そうそう、おれの友人であるところの主婦たちは、そろいもそろって子育てがちゃんと出来そうなので、あまり心配はしていない。むしろ遺伝子を次世代に伝えるその覚悟に、臆病者のおれは、畏敬の念をおぼえる。