絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

何かに関心を持つということ

 イラクで死んだ青年に関して語ると、こういう返答を返すひとがいます。
「彼だけが馬鹿なのか、彼だけが可哀想なのか、日本国内でも毎日たくさんのひとが死んでいる、なぜ彼ばかり関心を集めるのか」(発信元が特定できないのは、それがいくつかのblogに、別人のコメントとして点在しているから)
 これに近いことは、ぼくも思う。彼が首を切られる映像を見て、グロ画像収集をやめたなどと言うひとがいるからです。それは単に、人種差別の感覚が根底にあって、今まで見ていた外国人の死体が、同じ人間の死体であると思えなかっただけなのでしょう。
 死体に貴賎はありません。彼はイラク人ではないという理由で殺された。日本人であることは第一の理由ではないのです(まあ最近は外部勢力の手によってイラク人も殺されているという情報すらあるらしいのだけどよくわからないしこの話とは関係ない)。
 彼は殺された外国人の一人です。それは多くある情報のうちのひとつでしかありません。だけど、彼の死体を損壊する映像は、配信されてしまいました。誰もが見ることのできる場所へと保管され、多くのひとにダウンロードされました。
 なぜ彼だけが関心を集めているように見えるのでしょうか、それが重要です。
 人気のあるblogには多くの閲覧者がいます。その閲覧者の多くはblogを持っていて、情報の共有や発信をさかんに行っています。しかし、一日に閲覧できる情報は限られていて、多くの人間はそれほど情報収集の為だけに時間を使えません。
 そして、blogによって情報を集めるひと(コメント欄に記入するひと)の目の前には、選択され、濃縮された情報の一部が提示されます。イラクで死んだ彼だけが、大切にされ、ネット上で黙祷されているかのように見えるのです。
 彼は殺され、撮影され、映像として配信されました。
 だけどネット上の誰かが彼を殺せと命じたわけじゃないのです。
 最初に関心があって供給が行われるのではありません。
 需要は作られるのです。
 その需要を自分の欲求として感じられなかったひとが、冒頭のような質問をするのではないでしょうか。
 何かに関心を持つということは、人間にとって、大切な欲求です。だけど何かに関心を持ったときに、その関心がどこから生まれたのか考えることも、また大切なことではないでしょうか。ぼくはそう考えます。

    • -

 ところで、切込隊長BLOGで「ところで、なぜ日本人は、アメリカの大統領選について語りたがりますか?」という題の文章があったので「おお!なぜだろう?」と思って読んだら、具体的な説明は3行くらいで、あとは本文のほとんどが「日本人が情報もないのに福音派について語るのは間違い(意訳)」という説明だったので倒れた。でもよく読むと「他国の事情に干渉したくなる欲求」の理由がわかって、すごく面白いよ。
 あと『関心を〜』は、一回書いたあとで、全部丁寧そうに見える表現に直してみた。