絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

そんなときぼくはこうおもうんだ

 小説家やイラストレイターになりたいと言うひとがいたらこう答える。
 売文家やカット描きというのは決められた枠を文字や線埋める仕事なので穴を掘って埋める仕事と似ているのですが穴は編集さんが掘ってくれるので安心です。埋めても埋めても次の穴を掘ってるし埋めても埋めても時給換算するに350円くらいにしかならない不思議システムがいつの間にか完成しています。
 ときどき真面目にやってちゃんと職業にしたい(食っていきたい)とも思いますが、残念なことに、こればかりは才能が足りないとどうしようもありません。仕方なくいろいろやっているとさっぱり実力がつかず年をとっていきます。ああ、だいたい世の中というものはやれ「個性的であれ」やれ「独創性を持て」とやかましいのですが、多くのひとはそう個性的でもなく独創性もないので苦しい生活を強いられているような気がします。 もっと生活のすみずみまで「機械作業は素晴らしい」とか「単純労働は尊い」とかそういう思想をしみこませればいわゆるひきこもりやニートなどもなくなるのではないでしょうか。具体的にはテレビドラマの主人公を工場勤務にするとか、ドラマの盛り上がり部分で延々ネジを締めるとかそういうことです。
 もちろん、社会が「個性偏重」でありながらシステムは「従属性重視」なのは40年前から続いていたことであって、いまぼくやきみがダメなのは社会のせいではなく自分の責任なのですが、これから先の子供たちが同じ状況もしくはさらに悪い状況で育たなければならないと考えるに、今のような「民主主義っぽい独裁政治」とか「画一化された個性主義」というような欺瞞に満ちた社会状況は、少しづつ変えていかねばならんのでは?そう思うのです。
 ところでさっきサイゾーという雑誌を読んだら、キャシャーンのキリヤさんが「ネットの意見はどうですか(意訳)」と聞かれて「素人創作家の方が書く『こうすればいいのに』というのが一番腹が立ちましたよ(意訳)」と仰ってられたので、プロと素人を分け隔てると「キリヤ>それ以外」となります。
 とまあ、このように、一見関係ないように見えてその実本当に関係ない話などを作中にはさむと字数が埋まるうえに読者が何か知識を得たように思うのでお得です。
 ちなみにライター職の場合は削るのが仕事になるので、文末表現や形容詞などに詳しくなるようです。ぼくはそういう職業ライターの心無い文章がけっこう好きです。

 はい、上記文章でちょうど千文字です。だいたい普通の小説一冊が八万文字くらいだとして、1日五千文字くらい書けば月一冊出せる計算になります(ひどい計算)。コネは真面目に生きてイベントや飲み会に顔を出していればすぐにできます。それをしないでズルズルやってるとロクな目に遭いません。あと賞をとるなどの一攫千金狙いは面白くないと無理なのでやめたほうが無難です、世の中に五万人自分と同じレベルの人間がいると思ってください、うひゃあ、死にたくなった。
 というわけで気が楽になったらさっそく作家やらになってぼくに飯をおごったりしてください。いやもうほんとうに期待してますから。