絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

野球ふしぎ

 野球にはまるで興味がないのだけれど、グールドせんせいが書いていたことに関係あるので、ちょっと書く。イチローの話。
 イチローは、どこがどう、すごいのか。

 スティーブン・J・グールドの『フルハウス』には、大リーグから四割打者が消えた理由が書いてあった(今、手元にないので正確な引用ができないので申し訳ない)。

 平均値を真ん中にとった曲線があって、左がなだらかにゼロに近づき、右は四割に向かうとする。
 左はゼロまでなだらかな曲線を描くけど、右は物理的な壁(肉体的なものと、試合数だったか)があって、途中で途切れる。
 そして、全体の能力が向上すると、真ん中がどんどん右に寄っていく。でも右端の壁は動かないから、真ん中から右壁の間は、どんどん狭くなっていく。

 戦前多かった四割打者が戦後に減ったのは、良い打者が減ったからではなく、投手がうまくなっただけでもなく、全体の技術が向上して、右壁が近づいたからだ、とかいう話だった。
(この右壁を忘れたり、平均値の位置を間違えると、トンデモな話になる。この前「これから先オリンピックで女性の金メダルが増えるだろう」というトンデモ話がニュースになっていたが、その話は『フルハウス』の中でも冗談として書かれていた。女性がオリンピックに参加しはじめた年(平均の位置)や身体能力の右壁を忘れると、そういう結論が出るよ、と)

 つまり、野球リーグ進化の必然として、四割打者は消えたのだ、という話だったのだ。(もちろん進化論を説明するための遊びであって、社会ダーウィニズム等とは関係ない)

 イチローは、そんな進化の流れから、飛び出してしまったのである。打数表を見ると、イチロー以外は全員1910〜30年代だ。その頃、平均値のピークは、はるか左側であった。
http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20041002&a=20041002-00000036-mai-spo

 ぼくは野球のことは何も知らない、ルールも、選手も、チームも、何も知らない。だけど、グールドせんせいの著書のおかげで、イチローとかいうひとが、どれだけすごいのかは、わかる。確立的に起こり得ないことが、起こったのだ。

 野球を愛したグールド氏が、今も生きていたら、その偉業をどう表しただろうか。

 とかいう話を、あるひとの日記を読んで、書いてみたのだけど、何しろ『フルハウス』が手元にないので、もうなんだか。とにかく「いっぱい打ったからすごい」というレベルの話ではないくらい、すごいのだということが伝わったらそれでいいです。ちゃんと調べて、あとで書き直しますので。

追記:家がぐちゃぐちゃで本が見つからない。なので某所より引用を孫引きする。ご容赦。

アメリカンリーグがスタートし、ナップ・ラジョイが4割2分2厘を打った1901年から、テリー[テッド・ウィリアムズ]が4割1厘を打った1930年の間、シーズン打率4割という記録は、もちろん価値ありとされてはいたが、それほど珍しいことではなかった。その30年間に、リーグ最高打率が4割を超えた年は9回もあったのだ。その金字塔を達成した選手は全部で7人。(ナップ・ラジョイ、タイ・カップシューレスジョー・ジャクソンジョージ・シスラー、ロジャーズ・ホーンズビー、ハリー・ハイルマン、ビル・テリー)で、カップとホーンズビーはそれぞれ1人で3回も達成している。

ちなみに最高打率はホーンズビーが1924年に記録した4割2分4厘だが、1922年は、ナショナルリーグのホーンズビー、アメリカンリーグのシスラーとカップの3人が4割を越えた年だった。ここでことわっておくが、4割打者がもっとざらだった19世紀の記録をあえて除外しているのは、プロ野球黎明期におけるルールやプレーそのもののちがいがあるため、単純な比較はできないからである。(P108)