絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

 つまらない出来事で、ひとを嫌いになったりするものではないよ。
 あれらは金や飯のために、ひとがよろこぶように、憎まれ口を叩いているのだ。
 あれらが口汚くののしるのは、その方が自分のとくになると思うからだ。
 けして、楽しくて、やっているのではないのだ。
 おまえが信じるものや、好ましく思うものをけなされたからといって、おまえが同じように口汚くあれらをののしったら、おまえの好きなものや、信じるものはどう思うのか。
 おまえが、おまえの勝手なにくしみや、いかりを口にするたびに、おまえの楽しいきもちが少しずつ削れていくとしたら、おれはなんとすればいいのか。
 くだらない連中の、ひとことがおまえを傷つけたとして、おまえは何を気にすることがあるだろう。
 あれらは汚い言葉をひとつ口にするたびに、金や飯とひきかえに、誇りを失っているのだ。
 けして、さいわいに、つつまれてはいないのだ。
 おまえが、大切にとっておいた言葉を使って、ひとびとをたのしませ、あれらを黙らせるのであれば、おれはラッパを吹きながら、おまえの後ろを守ってやろう。
 やがて道のまえに、あれらの姿は見えなくなる。
 そのときに、笑うのは、おまえとおれなのだ。