絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

アルコール

 友達が、最近呑んだくれて、ベロンベロンになったまま「酔ってないよ」「大丈夫」と言うので、少し困る。「酒はヘロインと同じくらいの毒ですよ」「『平気』と思うのが中毒の第一歩ですよ」などと言ったが「おれの唯一の楽しみを奪うのか、おれはものを考えたくないんだ、酩酊していたいんだ」と聞く耳をもたない。
「じゃあ、そんなにも酩酊していたいのなら、DMTを持ってきますから、一緒にずーっと飛びましょう」と言ったら「それはいやだなあ」と、その日はパタリと呑むのをやめた。
 それから二週間、相変わらず彼は酒びたりで、抱えた問題は何一つ解決していない。世界のどこかでは毎日楽しいことが起こっていて、ぼくと彼だけが、置いてけぼりにされているとか、そういう話をした。

 ほんとうは、辛いことがあったり、眠れないときは、医者に行って睡眠薬抗鬱剤ををもらって、飲めばいいと思う。あと、カウンセラーに話を聞いてもらえばいい。酒や、咳止め液や、友達みたいな、別の用途で使うべきものは、やっぱり効きが悪いし、副作用が面倒だ。

 でも結局、酒や友達を利用してしまう気持ちは、わからないでもない。映画は面白いし、音楽は美しいし、本は読み応えがあって、ぼくらの居場所なんて残されてないみたいだ。一万人より千人、千人より百人、百人より十人、十人より一人。観客の数が減れば、それだけ要求されるハードルも低くなる。

 こんなふうにして、みんなあきらめるんだな。こりゃ、仕方ない、死ぬのがダメなら、そうやって生きるしかない。そう思い始めたら、誰の言葉も届かなくなって、やっぱりうっすらと絶望だけを残したまま、酩酊するしかないのだ。

 いまのところ、ものを作る以外には、抜け出す術がない。