絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

弱さは罪か

リストカットタトゥー」という芸術作品がある。
http://www.pinkvalley.com/html_wristcut.html

 悪趣味として、生傷をメイクで作り、町を歩くことは、面白さを産む場合もあるだろう。昔テレビで、特殊メイクで老人になったタレントが、アゴに仕込んだパイプから牛乳ゲロを際限なく吐くというドッキリ番組を見たことがある。

 しかし、説明文を読んでいくと、どうも違うらしい。なにやら薄っぺらな正義感と偏見にあふれた文章が並んでいる。
曰く「リストカットとは何か。これは肉体や傷跡・関係性の問題ではなく、人間性の問題なのです。」
曰く「人間関係を構築する力の欠如は、リスカ者とは正反対のように思えますが、マルチ商法などで友人に洗剤を売りつけたり、他人に迷惑をかける落伍者と同じような行為に走りかねない要因となります。」
曰く「このようなシールが代償行為や冗談のネタとなり、リストカット狂言自殺を「恥ずかしいこと」と笑い飛ばせるような効果があればとも願っています。」

 見下した笑顔で「仲良くしましょうよ」と言う感じだろうか。本人は助けようという善意でこの作品を作っているのかもしれない。だとすれば、かなり見識が狭い。

 死なないレベルで手首を切る、体を傷つける、という行為は、一見特別なことのように見えるが、パチスロにはまる、タバコを吸う、恋愛におぼれる、酒を飲む、ということと同じ、単なる中毒であって、それ以上のものではない。それが人格の一部を形成しているからといって、それだけで個人の全てを表しているわけでもない。「あなたはインターネットを利用しているから恥知らずだ」と、見知らぬひとに人格を否定されたら、どんな気持ちがするだろうか。

 傷を作るひとに対して、傷を作るなというメッセージを送る。その為に傷のレプリカを選んだ作者の悪意に拍手を送りたい。レプリカの傷は、本物の傷が「死のレプリカ」であることを浮き彫りにする。この作品を笑えるのは傷のない者だけだ。傷を持つ者にとって、この作品は傷を持つ者の存在そのものを「レプリカである」と断罪する。

 だが、作者はこの作品の価値に気づいているのかどうか。「脅迫・言論弾圧・濫訴まがい・ヒステリーと思しき抗議は無視します。」と、いささか興奮気味であるところを見るに、もしかすると本心から善意の作品だったのかもしれない。この作品を中毒者に向けた単なる皮肉として作ったのならば、こころざしが低すぎる。この「リストカットタトゥー」は「お前は偽者だ」と断罪することで、自殺未遂者を自殺者へ変貌させるほどの力を持った作品である。ひとを殺せる作品など、人生のうちで一回も作れるだろうか。

 ひとを殺すことを目的として作られた作品。もしそうでないならば、残念ながら、この作品には「このような作品を作る者がいる」という証拠程度の価値しかない。正義感に裏打ちされた差別感の表明、それがこの「リストカットタトゥー」だ。


トラックバック
id:matuoka:20040701
id:ayekam:20040701
id:toi:20040701

追記
上記の文章を下記のコピペにしたがって改変した荒業!
id:toi:20040702
生まれてはじめて改変コピペされた気がする!すげえ!
混沌としてまいりました、toiくんはよくキモいキモいと言われるらしいので、黒エスパーに違いないと思った。たぶんじっさいに話すと語尾が変。