絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

SPUN

 あまり知り合いじゃないひとたちと、映画を観に行った。
 映画「SPUN」はPV監督ヨナス・アカーランドの映画デビュー作。ガチャガチャとめまぐるしいヤク切れの焦燥感を描いたMTV風のはじまりには、正直「だいじょうぶ?」って思ったけれど、やっと手に入ったブツを吸って、ヌドーンとドライブしはじめるオープニングロールを観て、全部を肯定する気持ちになった。
 もともと「ボンクラが鼻から何かを吸って『シット!』とか言いながらカラ元気を得る映画*1」が好きなので、心配はしていなかった。最初から最後まで、ボンボンクラクラボンクララ、ラリりっぱなし。
 ラリるのは、楽しくて、哀しい。気持ちよくて、苦痛だ。
 映画が終わって、スタッフロールが流れるあいだ、ふいに涙が出て、止まらなかった。この映画を一緒に観たい友達が何人も浮かんだ。この映画を一緒に観たかった友達も何人か浮かんだ。
 ところが、終わったあとで同行者を見ると、泣いているのはおれだけ。 
 ヒャー、間違えた?なんか間違えましたか?泣く映画じゃないの?あれれ?
 あまり知り合いじゃないので「どうでしたか?」とおそるおそる確認、すると口ごもりながらひとこと「もっと、前向きに生きればいいのになあ、って思ったよ」と。救いのないラストに、しょんぼりしたらしい。
 いや、皮肉でも何でもなく、こういうまっとうなことを言うひとと観に行って、ほんとうによかったと思う。ぼくはドップリ漬かっていたから、そんな当たり前の感想が浮かばなかった。そうだよ、前向きに生きろよ、ラリって車運転したら危ないよ。
 そのあとファミレスで映画の話をした。楽しかった。

 仕事しなきゃならない、ずいぶん遅れている。逃げて死のうとした、ばかみたいだ。ラリらないで、前向きに生きようと思う。死んだり、自分を傷つけると、あのひとらがしょんぼりする、たぶん。いや、違うな、死んだら、あのひとらに自分の作ったものを見せて、いろいろ言ってもらえなくなる。

 また、一緒に映画を観に行きたい。

 あと「ボンクラがクラクラする映画は見飽きた」という意見もあったのだけれど、それはそういうジャンルなので我慢してほしいと思った。

追記
「提供側の憂鬱」id:Dirk_Diggler:20040621
くわわー!それだー!バロウズせんせいの書いていた(っていうか山形せんせいが言っていた)「ジャンキーとプッシャーの関係」を明確に映画化したものなのだな。ジャンキーはプッシャーに依存しているように見えるが、プッシャーもまた、ジャンキーなしにはいられないのだ。という。そう考えると最初に「送迎の礼だ」と言って小袋を差し出すのを明確に映したのも納得できる。プッシャーははじめに少量のお試しを与えてジャンキーを手なずけ、次第に取引へとその関係を変貌させるが、映画でその経緯を描くものは、実は少ない。

追記2
キーワード登録というものをしてみた。ついでに「スパン」もしておこう。

追記3
観た人むけに「あのシーンがいいよねー」という感想も書いた。id:screammachine:10000101

*1:スカーフェイス』『パルプフィクション』『レクイエムフォードリーム』『マイノリティリポート』等。『ラスベガスをやっつけろ!』はちょっと違う、サイケは実体験の方がいい。